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【ロサンゼルス時事】米大リーグで歴代2位の通算755本塁打を記録したハンク・アーロン(本名ヘンリー・ルイス・アーロン)さんが22日、死去した。86歳だった。現役時代に所属したブレーブスが発表した。球団によると、遺族は死因などの詳細を公表していない。
米アラバマ州モービル出身。黒人だけがプレーするリーグを経て1952年に大リーグのボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)と契約し、54年にミルウォーキー・ブレーブス(同)でデビュー。右の強打者として頭角を現すと、人種差別を乗り越え、74年に通算715号を放ってベーブ・ルースの最多記録(当時)を更新した。76年の引退までに755本塁打。2007年にバリー・ボンズ(ジャイアンツ)に抜かれるまで30年以上にわたって大リーグ最多記録を保持した。
77年に巨人の王貞治(現ソフトバンク球団会長)が756号を打ってこれを更新したが、アーロンさんの記録は日本の野球ファンにも偉大な業績としてたたえられている。
57年には44本塁打、132打点で2冠を獲得してナ・リーグ最優秀選手に選ばれ、ヤンキースとのワールドシリーズを制する原動力にもなった。本塁打王、打点王各4度、首位打者に2度輝き、通算2297打点は歴代1位、3771安打は同3位。右翼守備でもゴールドグラブ賞を3回受賞した。背番号「44」は、ブレーブスとブルワーズで永久欠番となり、引退後はブレーブスのフロントに入り、上級副社長を務めるなどした。82年に米野球殿堂入り。2015年には日米の友好親善促進などに寄与したとして旭日小綬章を受章した。
【時事通信社】
〔写真説明〕ハンク・アーロン
元米大リーガー(AFP時事)
2021年01月23日 08時13分
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