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「校舎の傷に学んで」=宮城の小学校、最後の卒業生磯部さん―東日本大震災10年



「この校舎の傷を見て津波の恐ろしさを学んでほしい」。東日本大震災の10メートルの津波から児童ら90人の命を守った宮城県山元町立中浜小学校の卒業生、磯部啓太さん(20)は、震災遺構となった同校の敷地に立ち、そう願った。4年間過ごした学びやに、教訓を伝え続ける役割を託している。

海岸から約400メートルに位置する中浜小は、敷地が2メートルかさ上げされるなど、震災前に防災対策が取られていた。津波は屋上に到達せず、屋根裏の倉庫に避難した児童、教員ら90人が助かった。

2011年3月11日、4年生だった磯部さんは大きな揺れの後、いったん屋上に避難し、父親の迎えの車で学校を離れた。内陸に向かう途中で、住宅をのみ込みながら迫る津波を目撃。「今まで見たことがなく、怖かった」と振り返る。

中浜小は13年3月に閉校し、当時の4年生が最後の卒業生となった。校舎は20年9月に遺構として公開され、元校長の井上剛さんらが案内人として記憶を語り継いでいる。

磯部さんは今年2月下旬、遺構になって初めて校舎に足を踏み入れた。親の迎えを待ったり雨の日に遊んだりした多目的ホールは、津波で流されたロッカーや木が散らばる無残な姿に。

地震の時にいた1階図工室の天井は垂れ下がり、「こんなに壊れるほどの威力があるとは思わなかった」と室内を見回した。「校舎に残る傷痕を見れば津波のすごさが分かる。災害はまた起こるかもしれないので、中浜小を見学した人は防災に関心を持ってほしい」と力を込めた。

自宅は無事で、町に住み続け復興を見守ってきた。町は津波の危険性が高い海岸近くを防災緑地とし、内陸のJR駅周辺に市街地を集約。「海の近くの家がなくなって寂しい」と話す一方、震災後にできた農水産物直売所や住民の交流拠点に「観光客や住民が集まりやすい場所ができた」と今後の発展を期待する。

1月に成人式を迎え、大人の仲間入りをした磯部さん。これからも町の若手として「地域の祭りなどをもり立てていきたい」と語った。

【時事通信社】 〔写真説明〕東日本大震災の津波で破壊され、震災遺構となった中浜小学校を訪れた卒業生の磯部啓太さん=2月28日、宮城県山元町

2021年03月06日 15時19分


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