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抵抗住民に銃口、家も破壊=米軍「強権」の接収―地料収入で心境に変化も・沖縄



太平洋戦争末期、民間人を含む約20万人が犠牲になった沖縄戦から77年となった。戦闘終結前から米軍は住民の土地を接収し、基地を建設。1950年代には日本本土からの基地移転に伴い、さらに強権的に土地を奪った。その多くは今も返還されないままだが、時の経過と共に所有者の中には心境の変化を語る人もいる。

◇広げた両手

55年7月19日未明。宜野湾村(現宜野湾市)伊佐浜で田畑を所有していた澤岻安一さん(99)は、米軍の重機やトラックが武装兵を従え、軍道の幅いっぱいに迫ってくるのを見た。とっさに飛び出し、両手を広げ立ちはだかると、米兵に突き飛ばされた。「止められないと分かっていた。でもあまりに残虐だった」と振り返る。

米軍は、抵抗する住民に銃口を向け、集落を鉄条網で囲んだ。約43ヘクタールの田畑に土砂を投じ、ブルドーザーで家々を破壊した。澤岻さんは自宅こそ無事だったが、耕した田畑をつぶされた。

宜野湾市史によると、136人が伊佐浜で家を追われ、多くは小学校教室での避難生活を経て、トタン屋根の住宅へと移住させられた。接収は、那覇市や伊江島など各地で行われた。

◇「恩恵」感じることも

澤岻さんの土地はほとんどが奪われたままだが、米軍を憎む心境は変化したという。理由の一つは軍用地料の収入だ。農業で稼ぐ体力はうせたが、地料は定期的に入り、「口にしづらいが、『恩恵』に感じることもある」と話す。

接収地に対し、米軍が50年代に「一括払い」による不当な賃貸契約を押し付けると住民は抵抗した。その結果、地料は毎年払い、補償も適正に行うことが認められ、琉球政府を介した契約形態などを勝ち取った。

72年の本土復帰以降、地料は上昇し、2020年には米軍施設の面積が復帰時と比べ約34%減少する一方で、賃借料の総額は約7倍になった。現在は毎年1%程度上昇している。値下がりの心配や未払いのリスクがなく、軍用地は県外から投資対象としても注目されるが、軍用地等地主会連合会の関係者は「単価の据え置かれる施設もあり、生活苦の地主もいる」とくぎを刺す。

澤岻さんは「沖縄は今でも(米軍絡みの事件事故など)人権が完全には認められていない」としつつ、「例えようのない憤り、憎しみ、苦しみ」は、地料をめぐる「時代の変化」で薄れてきたと語った。

【時事通信社】 〔写真説明〕取材に答える澤岻安一さん=4月13日、沖縄県宜野湾市 〔写真説明〕接収地となる前の家屋と子どもたち=1955年7月、沖縄・宜野湾村(現宜野湾市)伊佐浜(沖縄県公文書館提供) 〔写真説明〕「金は一年土地は万年」とのぼりを立て、土地接収に抗議する住民=1955年7月、沖縄・宜野湾村(現宜野湾市)伊佐浜(沖縄県公文書館提供) 〔写真説明〕道路の向こう側が伊佐浜集落のあった接収地。「キャンプ瑞慶覧」となっている=4月13日、沖縄県宜野湾市

2022年06月25日 05時59分


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