一般社団法人 日本電子機器補修協会
斬新な服作りで国際的に高く評価されたファッションデザイナーで、文化勲章受章者の三宅一生(みやけ・いっせい、本名かずなる)さんが5日、肝細胞がんのため東京都内の病院で死去した。84歳だった。葬儀は近親者で済ませた。故人の遺志により、お別れの会などは行わない。
広島市出身。多摩美術大を卒業後、1965年に渡仏し、パリのオートクチュール(高級注文服)の学校で学んだ。68年の五月革命で学生が議論し合う姿に刺激を受け、一般の人に身近な服作りを目指し、ニューヨークにも渡った。
70年、東京に三宅デザイン事務所を設立。「イッセイミヤケ」ブランドを立ち上げ、73年にパリのプレタポルテコレクションに進出した。「一枚の布」という考え方を原点に、新潟、岐阜、岡山などの繊維産地や工場を巡り、職人を訪ねて糸、染め、織りの伝統の技を研究。刺し子や丹前など庶民に継承されてきた衣服や手仕事を新しい技術と融合させ、独創的な服を生み出した。
80年代にはプラスチック、籐(とう)、紙など布以外の素材を使った服作りに挑戦。大きめに縫い上げたものにひだ加工を施す手法にも取り組み、93年に伸縮性のある「プリーツプリーズ」を発表。着る人の体形を選ばず、軽くて機能性にも優れ世界中でヒットした。
98年にはデジタル技術、2010年にはペットボトルや古着を溶かした再生ポリエステル繊維を使った作品を発表。既成概念を覆す発想と技術で、服飾の世界に刺激を与え続けた。
7歳の時、広島で被爆した。09年にオバマ米大統領(当時)が核廃絶を求めたプラハ演説に感銘を受け米紙に寄稿。「原爆から生き延びた一人」として自らの体験を明かし、大統領に広島訪問を呼び掛けた。
10年に文化勲章。16年に仏レジオン・ドヌール勲章の最高章を受章した。
【時事通信社】
〔写真説明〕パリで春夏コレクションを発表した後、拍手を受ける三宅一生さん=1991年10月(AFP時事)
2022年08月09日 19時32分
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