一般社団法人 日本電子機器補修協会
29日で50年を迎える日中国交正常化は、中華民国(台湾)との断交でもあった。首相の田中角栄は訪中に先立ち、摩擦を和らげようと台湾に特使を派遣したが、その特使が外交関係維持に言及するなど対応は混乱した。台湾では日本の方針に反発はあったものの在留邦人への報復は回避され、日台間の交流はいまに続いている。(肩書は当時、敬称略)
◇デモ隊が包囲
「鉄拳でフロントガラスをばーんと割られ、散ったガラスをかぶった。ハマコーさん(浜田幸一衆院議員)が『我慢だぞ、我慢だぞ』と。言われるまでもないと思った」
1972年9月17日午後、日中正常化方針を説明する首相特使一行の車列は、台北松山空港を出たところでデモ隊に取り囲まれた。自民党職員として同行した松本※(或の右のノが3つ)彦(82)によると、手配した車両は14台あり、「7台はボディーがベコベコ」に破損した。
台湾では長期の戒厳令が敷かれ、デモなどの活動は認められていなかった。松本は、デモが排除されなかった背景に関し「台湾の意思表示というのはあったのだろう」と推し量る。
台湾・蒋介石政権は「以徳報怨(徳をもって恨みに報いる)」として、日中戦争の賠償請求を放棄するなど日本に寛大だった。自民党内では一方的な台湾との国交破棄をめぐり対立が続いた。
特使に選ばれた党副総裁の椎名悦三郎は訪台2日目の9月18日、政府要人らとの面会のさなか、台湾立法院議員らとの懇談に出席。そこで政府方針と異なる「外交関係を含めた関係維持」について発言した。
それまで台湾側による「糾弾演説会」の様相を呈していた会場は沸いた。松本は「異様な雰囲気だった。予期せぬ発言だったから」と混乱ぶりを振り返る。椎名の真意は定かでないが、松本は「椎名さんの本心」と受け止めたという。
◇「身構えた」
断交に踏み切れば、在留邦人に危害が及んだり、財産没収や台湾海峡での日本船舶の拿捕(だほ)など対抗措置が取られたりすることも想定された。外相・大平正芳の娘婿で秘書官だった森田一(88)は、日本側で「どんな騒ぎが起こるか予測できない」と身構えていたという。
だが、目立った混乱は起きなかった。台湾側の自制を、松本は「第2の以徳報怨だと思う。忘れてはいけない」と語った。
【時事通信社】
〔写真説明〕元自民党副総裁の椎名悦三郎氏
2022年09月24日 15時25分
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