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政治の動向、小売りを翻弄=日系の中国進出、90年代に過熱―日中国交正常化50周年



日中の国交が正常化した1972年からの50年間、中国は目覚ましい経済発展を遂げた。日系の小売企業は90年代、当時12億人規模の巨大市場を狙って中国に続々と進出。ただ、期待通りに事業を拡大できたのはごくわずかだ。現地の政治・政策動向に翻弄(ほんろう)され、足元は行き詰まりの気配を見せている。

◇対中投資の火付け役

「海外への飛翔という大きな夢にとらわれていた」。静岡・熱海の青果店を国際的な流通企業に育て上げた元ヤオハングループ代表の故和田一夫氏は、全盛期だった95年当時の心境を著書に記している。

ヤオハンはこの年、上海に当時アジア最大級の百貨店をオープン。初日に107万人の来店客を集め、ギネスブックにも掲載された。出店は、中国の政府関係者が要請したといい、89年の天安門事件で冷え込んだ対中投資の火付け役をヤオハンに期待したようだ。

和田氏は、さらに中国で百貨店10店とスーパー1000店、ファストフード3000店を開く強気の構想を掲げた。しかし、過剰投資が重荷となり、中核のヤオハンジャパンが97年に会社更生法の適用を申請。グループは経営破綻した。

当時、中国に駐在していたスーパー大手イトーヨーカ堂の三枝富博会長(72)は、和田氏が中国政府と親密な関係を築いていたと指摘する。「(出店)規模の拡大ができるので一時的には強い。それも一つの在り方だ。ただ、われわれはお客さまの視点を重視した」と話す。

◇撤退後に消費拡大

70年代の中国は、国主導の「計画経済」で景気が停滞。78年以降は市場経済に移行する「改革開放」を製造業から進めた。ヤオハンは、小売業への部分開放で92年以降に本格化した日系進出の先駆けだった。

日系ではまず伊勢丹など百貨店が進出し、ダイエー、ジャスコ(現イオン)、ヨーカ堂などのスーパーが続いた。ただ、日本国内の業績悪化によって数年で撤退した企業も多かった。

皮肉なことに、中国は2000年代に入ると消費が拡大。世界貿易機関(WTO)への加盟を経て、小売業は全面開放された。日中の政治関係が悪化した05年や12年は、反日デモ隊が日系スーパーなどを襲撃。政治関係が冷え込む一方、経済関係が熱いことを意味する「政冷経熱」という言葉がもてはやされたのはこの時代だ。

◇中国も少子高齢化

今、最も勢いがあるのはコンビニかもしれない。消費者の生活改善を進める中国政府の後押しもあり、日本の大手3社がフランチャイズ制などで計1万店超を中国に出店している。ローソンは96年、当時親会社だったダイエーの創業者故中内功氏に要請があった上海に1号店を出店。今年7月に5000店舗を突破した。

10年から現地で指揮を執る三宅示修常務執行役員(55)は「米国におけるソニーのように『ローソンって中国の会社でしょ』と言われるのが理想だ」と話す。地域のニーズにきめ細かに応えられる経営陣や資本の「現地化」の道を探っている。

新型コロナウイルス感染症が流行した20年代は、ロックダウン(都市封鎖)に象徴される中国の「ゼロコロナ」政策が日系進出企業を直撃。帝国データバンクによると、今年6月時点で現地で事業展開する小売企業は425社と、20年2月から18社減った。

さらに帝国データの担当者は「過去の一人っ子政策の影響で、中国は少子高齢化が少しずつ進んでいる」と消費市場の減速も懸念。かつてのような輝かしい展望は描けないのが実情で、各社の戦略が厳しく問われそうだ。

【時事通信社】 〔写真説明〕総本部の上海移転について記者会見するヤオハングループの和田一夫代表=1996年4月、東京・丸の内の東京商工会議所

2022年09月27日 18時02分


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