
太平洋戦争の激戦地サイパン島では、民間人を含め日本人約5万5000人が亡くなり、現在も約2万6000柱の遺骨が眠っているとされる。「亡くなった父のことを知りたい」。福島県三春町の岩渕康晃さん(82)は約半世紀前、遺骨収集のため二度にわたり現地を訪れた。
父武雄さんが戦死したのは岩渕さんが1歳の時。記憶はほとんどないが、現地から姉と幼い自分に宛てて送られた手紙を母が繰り返し読んでくれたので、身近に感じることができた。「そのうちにお父さんもみんなの所に帰ります。お父さんのことは少しも心配ないからね」。そう記した半月余り後に米軍が上陸し、日本軍は全滅した。
父が亡くなったのと同じ30代半ばだった1974年と77年、国の遺骨収集事業で現地を訪問。岩渕さんら派遣団は計3000柱以上を集めた。多くは一部しか残っておらず、中には頭蓋骨から木が生えたものもあった。「1人でも多く、できるだけ早く連れて帰りたいと思った」と振り返る。
焼骨して日本に持ち帰るため、夜中に交代で火の番をした。父のものが含まれているかは分からないが、横で寝そべると、「父と寝ているような気持ちになった」。残った灰も父と思って現地の海にまき、冥福を祈った。
「当時より土に返っていて大変だと思うが、若い人たちにも関心を持ってもらいたい」という岩渕さん。現在は父の手紙や日記などを元に小学校で語り部をしている。「平和で家族と一緒にいられることが幸せだと思ってもらえるとうれしい」と語った。
【時事通信社】
〔写真説明〕サイパン島で戦死した父と家族の写真を持つ岩渕康晃さん=6月12日、福島県三春町
〔写真説明〕サイパン島で戦死した父からの手紙の写しを持つ岩渕康晃さん=6月12日、福島県三春町
2025年08月15日 15時23分