81年ぶり、姿見せた「紫電改」=旧海軍戦闘機を海中から引き揚げ=「空飛ぶよう」、NPOが展示へ―鹿児島



太平洋戦争末期に鹿児島県阿久根市沖に沈んだ旧日本海軍の戦闘機「紫電改」の機体が戦後81年を迎えた今年4月、海中から引き揚げられた。プロジェクトを進めたNPO法人は、常設展示施設の整備に向け取り組んでおり、「戦争を体験した人もしていない人も、それぞれの価値観で平和を考えるきっかけにしてほしい」と訴える。

紫電改はゼロ戦に代わる新鋭機として終戦間近に開発され、旧海軍最高の傑作機と言われる。計約400機が生産されたが、引き揚げられた機体を除き、国内に現存するのは紫電改展示館(愛媛県愛南町)の1機だけとされてきた。

NPO法人「北薩の戦争遺産を後世に遺す会」などによると、引き揚げられた機体には、松山海軍航空基地(松山市)を拠点とした第407飛行隊所属の林喜重大尉が搭乗していた。1945年4月21日、鹿児島県北部の上空で米軍機と交戦中に被弾。林大尉は戦死した。

「阿久根市の脇本海岸に機体がある」。引き揚げのきっかけは、同法人の肥本英輔代表が数年前、地元の古物商からこう聞いたことだった。半信半疑だったが、4回にわたり潜水調査を実施。海中に沈む機体の片翼に、紫電改に特徴的な2丁の20ミリ機銃を確認した。

2024年~25年、引き揚げ費用の寄付を募ると計約800万円が集まり、第407飛行隊員の遺族らから応援メッセージも寄せられた。肥本さんは「(引き揚げが)できるか迷いがあったが、勇気をもらった」と振り返る。

課題は、海中で約5トンの砂が流れ込み、機体の重さが約9トンもあることだった。慎重に作業を進めなければ、損傷する翼部分が折れる懸念があった。今年4月8日、機体のバランスが崩れないようにダイバーが指示を出し、約6時間かけて水中から引き揚げた。「(感動で)何も言えなかった。空を飛んでいるようだった」と振り返る。

NPOは、特攻隊員約200人が出撃した海軍航空隊出水基地跡(鹿児島県出水市)に資料館建設を進めており、引き揚げた機体を年内に展示する予定だ。肥本さんは「機体を見て、戦争や人間、犠牲や家族愛のことを自分なりに考えてほしい」と思いを語った。

【時事通信社】 〔写真説明〕引き揚げられた紫電改=4月16日、鹿児島県出水市(NPO法人「北薩の戦争遺産を後世に遺す会」提供) 〔写真説明〕引き揚げられた紫電改=4月8日、鹿児島県阿久根市の阿久根新港(NPO法人「北薩の戦争遺産を後世に遺す会」提供) 〔写真説明〕引き揚げられた紫電改と、NPO法人「北薩の戦争遺産を後世に遺す会」代表の肥本英輔さん=9日、鹿児島県出水市 〔写真説明〕紫電改の両翼にある弾倉に残っていた未使用弾=4月16日、鹿児島県出水市(NPO法人「北薩の戦争遺産を後世に遺す会」提供)

2026年05月24日 08時02分


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