
消防団員や報道関係者ら43人の犠牲者を出した雲仙・普賢岳大火砕流の発生から3日で35年となった。被災した長崎県島原市では、市民らが朝から各地で犠牲者の冥福を祈った。
午前8時半、被災住民が集団移転した仁田団地の第1公園では、古川隆三郎市長ら関係者約50人が、追悼碑の前にある献花台に花を手向けた。当時消防団員だった古川市長は、団員12人が犠牲になったことを「今でも忘れていない」と強調。「自然は本当に一瞬にして脅威の対象となり得る。自分たちの身の安全を考える一日であってほしい」と願った。
同公園には、噴火災害対策の陣頭指揮に当たった「ひげの市長」として知られ、昨年8月に亡くなった鐘ケ江管一・元同市長の妻保子さん(90)も訪れた。「主人を支えてもらったので、お礼と思って感謝している」との思いで献花したという。
大火砕流が発生した時刻の午後4時8分、消防団員が当時、警戒に当たっていた「北上木場農業研修所跡」では、市によるサイレンとともに鐘の音が響いた。鐘をついた中学校教頭の山下譲治さん(48)は、消防団員の父日出雄さん=当時(37)=を亡くした。「(父が)いなくなったのは大きく、年を取っても変わらない」と寂しげな表情を浮かべ、教育者として「災害から身を守るために必要な知識を、私たちはきちんと教えないといけない」と語った。
〔写真説明〕雲仙・普賢岳大火砕流の犠牲者を悼み、献花する鐘ケ江管一元島原市長の妻保子さん(右)ら=3日午前、長崎県島原市
〔写真説明〕雲仙・普賢岳大火砕流の犠牲者を悼み、鐘をつく山下譲治さん(手前左)=3日午後、長崎県島原市
2026年06月03日 18時39分