長嶋茂雄さんは現役、監督時代を通じて三つの背番号をつけた。栄光の3から監督時代の苦楽を共にした90、33まで、それぞれに物語があった。
▽「3」=巨人入団に際し、名手・千葉茂から譲られた。千葉の前に3をつけたのは俊足の田部武雄、戦前の三冠王・中島治康だから、既に栄光の背番号だった。当時の東京六大学は背番号がなかったため、長嶋は特に希望もなく、責任の重い番号だと感じながらもすんなり受け入れた。
長嶋引退とともに永久欠番になったが、背番号は受け継がれた方がいいと考える長嶋は監督就任後、清原和博らの獲得に際して3を薦める発言もしている。巨人の永久欠番はほかに1(王貞治)、4(黒沢俊夫)、14(沢村栄治)、16(川上哲治)、34(金田正一)。
▽「90」=引退と同時に監督に就任してつけた番号。当時小学生の長男一茂さんとの会話で「パパ、3番が駄目なら3足す3で6はどう」「6は土井(正三)がいる」「じゃあ9は」「吉田(孝司)がつけている」「それなら9に0をつけたら?」となって決まったという。
▽「33」=12年の浪人生活を経て巨人監督に復帰。現役時代の3を重ね、昭和33年の新人当時の初心に戻り、さんさんと輝く―などの意味を合わせて選んだ。94年に監督として初めて日本一に。96年にもリーグ制覇した。2000年、広島からフリーエージェントとなった江藤智に譲って迎え入れた。
▽「3」=97年から3年続けて優勝を逃して迎えた00年、野球人生の集大成として最後の勝負を懸けようと背番号を3に。春季キャンプでは当初、グラウンドコートを着て練習を指揮したため、いつユニホームの背中が見られるかと、連日カメラマンが張り付く騒ぎにもなった。(敬称略)。
【時事通信社】
〔写真説明〕阪急との日本シリーズで、MVPに選ばれた巨人の長嶋茂雄=1969年11月、兵庫・西宮球場
〔写真説明〕中日戦に臨む巨人の長嶋茂雄監督=1999年8月、ナゴヤドーム
〔写真説明〕ユニホーム姿でポーズを取る長嶋茂雄監督=1974年12月、東京・後楽園球場
2025年06月11日 13時37分