まぶたを閉じれば、「おやじ」と慕うミスターの笑顔が鮮明によみがえる。中畑清さん(71)は2004年3月に脳梗塞で倒れた長嶋茂雄監督に代わり、同年のアテネ五輪でヘッドコーチとして野球日本代表を率いた。銅メダルに終わったチームが同年8月27日、成田空港に帰国すると、リハビリ中の長嶋さんが成田市内のホテルで出迎えた。
事前に聞かされていなかった中畑さんだが、「来てくれる雰囲気はあった」。いすに座った長嶋さんは、自由になる左手で選手全員と握手。その表情は「満面の笑み。100万ドルの笑顔だった」と振り返る。
アテネ五輪代表は国内のプロ選手だけで編成され、日本中の期待を背負った「長嶋ジャパン」。当時は監督経験のなかった中畑さんは、ライバルチームだけでなく、想像を絶する重圧との闘いに神経をすり減らした。
五輪本番前。長嶋さんは背番号の「3」を直筆で日の丸に記し、チームに託した。この旗はアテネでベンチ内に掲げられ、自身のユニホームとともに選手のプレーを見守った。
松坂大輔、黒田博樹、上原浩治、三浦大輔、城島健司、高橋由伸、主将の宮本慎也…。アテネでの戦いを振り返った中畑さんは、「選手全員が最高のパフォーマンスを見せてくれた。結果的に銅メダルだったが、俺の中では金メダル」。帰国したチームを迎えたミスターの笑みは、戦士たちへの称賛だったと確信している。(敬称略)。
【時事通信社】
〔写真説明〕アテネ五輪野球で、日本チームのベンチ内に掛けられた長嶋茂雄さんのユニホームと日の丸=2004年8月、アテネ
2025年06月11日 13時36分