戦後日本に希望=躍動と笑顔のV9時代―長嶋茂雄さん・ミスター逝く(2)



高度経済成長の足音とともに、長嶋茂雄は表舞台に登場した。経済白書に「もはや戦後ではない」と書かれてから2年後の1958年、巨人へ入団。チャンスにめっぽう強い打撃、捕れそうにもないゴロに飛びつくひたむきな守備、派手なアクション、甲高い声。そして笑顔。希望のあすへ向かう日本社会の象徴だった。

デビュー戦で国鉄(現ヤクルト)の金田正一から4打席4三振を食らおうが、一塁ベースを踏み忘れて本塁打をふいにしようが、ファンはその天真らんまんさを愛した。

村山実から放った天覧試合の本塁打、江夏豊との数々の激闘、ジーン・バッキーの危険な投球に端を発する乱闘の後、王貞治が頭へ死球を受けた直後の怒りの本塁打…。長嶋の真価は、とりわけ伝統の阪神戦で発揮された。

1年後に入団した王と、9連覇を含む巨人常勝時代の原動力になった。王が合宿所の畳がすり切れるほど素振りを繰り返し、工夫と精進でヒーローになった一方で、長嶋は動物的といわれる感性で、ボール球さえ巧みにはじき返した。

王の魅力は、球を捉えるタイミングとボールをバットに乗せて運ぶ技術の高さ。長嶋のそれは、スイングの速さとインパクトの強さにあった。努力型と天才肌。記録のO、記憶のN。2人の個性が相まって、希代のコンビが出来上がった。

引退セレモニーは日本中の涙を誘った。「わが巨人軍は永久に不滅です」の言葉は後世に残ったが、もう一つ、野球少年たちに送るはずのメッセージもあった。子供を集めて練習もしたのに、本番で忘れてしまった。長嶋らしい逸話である。

米国では野球の素晴らしさを表す意味で、「ベーブ・ルースといえども、ベースボールより偉大ではない」と言われる。日本ではどうか。長嶋茂雄だけは、長い歴史を誇るプロ野球の枠組みに収まらないスケールがあった。(敬称略)。

【時事通信社】 〔写真説明〕現役引退セレモニーでファンに手を上げて応える巨人の長嶋茂雄=1974年10月、東京・後楽園球場

2025年06月11日 13時35分


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