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落語の歴史

落語の祖 安楽庵策伝

安土桃山・江戸前期の僧・茶人。美濃生。
名は日快、号を醒翁、俗名を平林平太夫といい京都誓願寺の安楽庵策伝がいました。

京都所司代の板倉重宗に語った話をもとに作られたという元和9年(1623年)の『醒睡笑』が挙げられる。

浄土宗の説教師であった策伝は御伽衆として大名の話し相手となり、「落とし噺」の名手であるばかりではなく、文人であり茶人でもあった 策伝の著した『醒睡笑』は、幼少時から聞き覚えた話を集めた全8冊から成る笑話集で、収載された話は約1,000話におよんでいる。

収載された話は最後に落ち(サゲ)がついており、策伝はこの形式で説教をしていたと考えられています。

『醒睡笑』には現在の小咄(短い笑い話)もみられ、また、この本に収載された話を元にして『子ほめ』『牛ほめ』『唐茄子屋政談』『たらちね』など現在でも演じられるはなしが生まれているところから、策伝は「落語の祖」といわれています。

なお、豊臣秀吉の茶話相手として近侍した御伽衆の一人、曽呂利新左衛門も噺家の祖といわれることもあるが、この人物の実在性については疑いがもたれています。

噺家の始まり

落語はもともと「落とし噺」といい、落ちのある滑稽なものを指しました。
元禄期、京都では露の五郎兵衛が四条河原や北野などの大道(だいどう)で活躍した。
これを「辻噺」といい、これを行った人々を「噺家」といい、落語家の始まりとされています。

この五郎兵衛が机のような台に座って滑稽な噺をし御座に座った聴衆から金銭を得てました。
五郎兵衛は後水尾天皇の皇女の御前でも演じた事があるほどでした。

また江戸時代の鳥亭焉馬が亭号を使った落語家の始まりと考えられています。


同じころ、江戸の町では大阪出身の鹿野武左衛門が芝居小屋や風呂屋に呼ばれたり、様々な屋敷にまねかれて演じる【座敷噺】を始め、これが講談と並んで評判になりました。
しかし、江戸の武左衛門が些細なことから流刑になった事によって、座敷噺は下火になってしまいました。

上方落語では今日、「見台」という小型の机を使い小拍子で打ち鳴らして音を立てる演出があります。
これは、京都・大阪での大道芸として発展した辻噺の名残と言われています。

【寄席の誕生】

天明から寛政の間にかけて江戸でも再び落語の流行が見られました。
大工職人を本業としながらも狂歌師や戯作者としても活躍した初代の鳥亭焉馬は天明6年に
江戸で新作落し噺の会を主催して好評を博しました。

その後、料理屋の二階などで定期的に開かれるようになり、江戸噺は活況を得て焉馬はこれによって江戸落語語中興で落語の祖と言われるようになりました。