「ノーモア・ヒバクシャ」世界に=援護拡充、集団訴訟も―「脱原発」も訴え・被団協



日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は「再び被爆者をつくるな」を合言葉に、世界に被爆者を派遣して核兵器の残虐さを伝えてきた。被爆者援護の充実も訴え続け、脱原発運動にも積極的に参加している。

日本被団協は、マーシャル諸島ビキニ環礁での米国の水爆実験で「第五福竜丸」が被ばくし、反核運動が高まっていた1956年8月に結成された。国内のみならず、海外でも積極的に活動し、翌年には代表委員が旧ソ連や中国、英国などを訪問した。

その後も国連などの会議に代表団を派遣し、被爆者が自身の体験を披露。82年6月の第2回国連軍縮特別総会で、代表団の一員として参加した故・山口仙二代表委員(当時)による「ノーモア・ヒバクシャ」の演説は、世界の人々に感銘を与えた。

原爆被害への国家補償や、被爆者援護施策の充実も重点項目に掲げた。結成翌年の57年、被爆者に無料の健康診断を実施する原爆医療法が施行された。その後も政府への働き掛けを強め、各種手当を支給する原爆特別措置法などの実現にこぎ着けた。

原爆症認定を求める集団訴訟も積極的に支援。訴訟は2009年8月、敗訴した原告を含む全員を救済することで国と原告団が合意し、原爆症救済法の立法につながった。一方、原子力発電所を巡っては、政府に対し、脱原発を呼び掛けている。



◇日本被団協の歩み 1945年

8月

広島、長崎に原爆投下



56年

8月

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成総会



57年

4月

原爆医療法が施行



66年10月

「原爆被害の特質と『被爆者援護法』の要求」を発表



68年

9月

原爆特別措置法が施行



81年

7月

裁判で国の戦争責任を明らかにする「国民法廷」運動を開始



82年

6月

国連軍縮特別総会で、代表団の山口仙二氏が「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」の歴史的演説



95年

7月

原爆医療法と原爆特別措置法を一本化する被爆者援護法が施行 2003年

4月

原爆症認定集団訴訟を提訴



10年

4月

認定訴訟で敗訴した原告を基金で救済する原爆症救済法が施行



15年

8月

「被爆70年広島・長崎宣言」を発表



16年

5月

広島を訪問した米オバマ大統領と坪井直代表委員が面会



17年

7月

核兵器禁止条約が国連で採択









12月

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞し、授賞式に被団協の被爆者2人が招待され出席



21年

1月

核兵器禁止条約が発効









10月

代表委員の坪井直氏が死去



24年10月

ノーベル平和賞の受賞が決定。

【時事通信社】

2024年10月14日 18時04分

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