一般社団法人 日本電子機器補修協会

rogo

原田、悪夢振り払う大ジャンプ=仲間と力合わせ雪辱―五輪・金メダル1号物語



原田雅彦は2回目に137メートルの大ジャンプ。優勝を懸けて飛ぶ船木和喜に全てを託し、「ふなきー、ふなきー」と祈るように後輩の名を繰り返し、ジャンプ台を見詰めていた。

1998年長野五輪のノルディックスキー・ジャンプ団体。最終ジャンパーの船木が125メートルにまとめて日本が金メダル。岡部孝信、斎藤浩哉、そして原田が船木に駆け寄り、歓喜の抱擁。白馬村のジャンプ競技場を埋めた大観衆も感動に酔いしれた。

94年リレハンメル五輪で日本は銀メダルに終わった。西方仁也、岡部、葛西紀明、原田で臨み、2回目の4番手で、普通に飛べば優勝の状況で原田が97.5メートルの失敗ジャンプ。金メダルを逃した。

雪辱を期した長野の団体メンバーは、年末年始のジャンプ週間で日本人初の総合優勝を遂げた船木や原田を擁して優勝候補の筆頭だった。しかし、1回目は3人目の原田が大ブレーキになる。降りしきる雪が助走路の溝にたまって助走スピードが落ちた状況で飛び79.5メートル。「また仲間に迷惑を掛けちゃうのかな」。4年前の悪夢が脳裏をよぎった。

日本は1回目4位。さらに2回目が始まった後、降雪が強まり中断。そのまま中止になれば1回目の成績で順位は決まり、日本は4位となる。

ジュリーに続行可能だと証明するため、日本のテストジャンパーたちは転倒せずに次々とジャンプを成功させた。代表から外れていたリレハンメル銀メンバーの西方は最後の25人目に飛んでK点越え。競技再開を決定付けた。

金メダルが決まり、原田は「俺じゃないよ。みんななんだ、みんな」と言った。自分のミスをカバーしてくれた仲間への感謝に加え、西方ら裏方への思いも込められていた。

【時事通信社】 〔写真説明〕長野五輪のスキー・ジャンプ団体の表彰式で金メダルを見せる(右から)船木和喜、原田雅彦、斎藤浩哉、岡部孝信=1998年2月、長野市

2020年06月04日 07時15分


関連記事

笠谷幸生さん死去、80歳=札幌五輪ジ

日本、パリへあと一つ=カタール退け4

横浜M、初の決勝進出=10人で、PK

大谷、松井抜く176号=通算本塁打で

大谷が5号2ラン=日本人単独最多17

町田、首位返り咲き=J1

神戸、暫定3位=広島は分ける―J1

政治・行政ニュース

社会・経済ニュース

スポーツニュース