
サッカーのワールドカップ(W杯)北中米3カ国大会で、日本代表の旅が終わった。最後のブラジル戦でゲーム主将としてチームを引っ張った背番号「10」の堂安律選手(28)。今大会では、かつてのニックネーム「マラドーアン」のイメージとは異なり、守備での貢献が光った。
マラドーアンの由来は、アルゼンチンの伝説的10番マラドーナ。左利きで、がっしりとした体格から力強いドリブルを繰り出すプレースタイルになぞらえ、そう呼ばれた。
3兄弟の末っ子。小学生の頃、長男が最初に始めたのをきっかけに、次男で元Jリーガーの憂さん(30)とともにサッカーに明け暮れるようになった。
年の近い憂さんと切磋琢磨(せっさたくま)するようにボールを追いかけた。登校前や下校後、ドリブルの抜き合い練習をすると、憂さんが「(弟を)コテンパンにした」。堂安選手は悔し紛れに「ズルや」と言って泣きながら何度も挑み、一度でも抜けば大喜びしたという。朝から夢中になるあまり学校に遅刻し、2人で走って行ったこともある。憂さんは「時間を忘れ、純粋にサッカーにのめり込んでいた」と振り返る。
転機は小4の時だ。堂安選手はセレッソ大阪の下部組織のセレクションに臨み、不合格となった。それまでも「プロになる」と口にしていたが、行動が目に見えて変わった。自主練習の量が増え、苦手だった野菜も食べるようになるなど、生活そのものが変化した。
「逆境大好き人間」を自認する堂安選手は、落ち込むことはなく、「絶対に見ておけよ」という気持ちで取り組んでいたという。
「プロになるから勉強せんでええ」とも言い放っていた。憂さんは「律はサッカーに全集中だった。24時間は大げさかもしれないが、サッカーのことしか考えていなかった」と語る。
背番号「10」に強いこだわりを持つ。2022年に地元・兵庫県尼崎市で憂さんとサッカースクールを立ち上げたのも「次世代の10番を輩出したい」という思いがあるからだ。セレクション落ちをきっかけにサッカーにすべてを集中するようになった経験が、日本の10番の原点だ。
チームでは、目標だった「優勝」の2文字を積極的に発信した。決勝トーナメント1回戦で敗退という「新たな逆境」が、次の飛躍の糧になる。
〔写真説明〕ブラジル戦の前半、ボールをキープする堂安律選手(手前)=29日、米ヒューストン
〔写真説明〕取材に応じるサッカー日本代表、堂安律選手の兄の憂さん=5月12日、兵庫県尼崎市
〔写真説明〕サッカースクールで子どもたちを指導するサッカー日本代表の堂安律選手(左)と兄の憂さん(憂さんのインスタグラムより)
2026年06月30日 14時31分