天皇、皇后両陛下は7日、太平洋戦争の激戦地、東京・小笠原諸島の硫黄島を訪れ、戦後80年に当たり戦没者を慰霊される。祖父が同島で戦死した建築業の有泉圭吾さん(50)=川崎市=は「硫黄島戦没者のことを思っていただき、両陛下に大変感謝している」と話す。遺骨収集や現地調査で計44回、同島を訪れたが、収集が進まない現状にもどかしさを感じている。
祖父の有泉頼政さんは、東京都荒川区で菓子問屋を営んでいた。1943年11月に召集令状が届き、横須賀の海軍砲術学校を経て、44年11月に硫黄島へ。45年3月17日に戦死したと認定された。遺骨は今も見つからず、頼政さんからの手紙などもない。
「戻って来ないなら、自分で見つけに行くしかない」。圭吾さんは2011年に慰霊のため初めて硫黄島を訪れ、12年10月には遺骨収集に初めて参加。しかし、滞在期間が短く、作業が3日ほどしかできずに「不完全燃焼」に終わり、継続を決意した。「祖父はもちろん、亡くなった兵士の指の骨一つでも早急に本土に連れて帰りたい」と思いを明かす。
17年2月に圭吾さんの父が他界。遺品を整理していると、頼政さんの写真を収めたアルバムが見つかり、菓子問屋前で撮った写真もあった。「うちのじいちゃんは軍人ではなく商人」。そう感じた圭吾さんは、それまで硫黄島を訪れた際、宿舎に頼政さんの軍服姿の写真を持参して水を供えていたが、軍服姿ではない出征前の写真を持参するようになった。
同島では旧日本軍約2万1900人が戦死し、いまだに約1万1000柱の遺骨が未帰還のままだ。同島への遺骨収集団は年4回派遣され、現在は地上近くにある遺骨を集める。24年度は島の渇水で飲料水や生活用水が不足して2回の派遣にとどまり、計66柱を収容した。圭吾さんも参加した昨年11~12月の遺骨収集では、陶器製の手りゅう弾や小銃弾が見つかり、80年たった今も激しい戦闘の痕跡が残る。
圭吾さんは「今のペースだと、全て収集するまでに何年かかるのか。政府は派遣回数を増やしてほしい」といら立ちをあらわにする。「私たちは平和な生活をしているが、戦没者や遺族の中では戦争は今も終わっていない。戦後80年を機に、収集の現状をもっと知ってもらいたい」と訴えた。
【時事通信社】
〔写真説明〕硫黄島で遺骨収集する有泉圭吾さん(左端)=2024年12月6日、硫黄島(日本戦没者遺骨収集推進協会提供)
〔写真説明〕硫黄島で戦死した有泉頼政さん(遺族提供)
〔写真説明〕取材に応じる有泉圭吾さん=3月12日、川崎市中原区
2025年04月07日 07時03分