再びセンバツへ、意気盛ん=地震、豪雨乗り越えた―日本航空石川野球部



能登半島地震の発生から1日で1年。被災しながら2024年春の選抜高校野球大会に出場した日本航空石川高校(石川県輪島市)野球部の選手たちは、再挑戦できる可能性が高まった選抜大会で25年こそ大暴れしたいと練習に励んでいる。

24年12月3日、能登半島の空は雨が降ったりやんだり。選手たちは室内練習場で打撃練習やウエートトレーニングに和やかな雰囲気で取り組んだ。中村隆監督は「モチベーション高くやっている」と笑顔。主将の及川蓮志内野手は「いい環境で野球ができている」と充実した表情だ。

24年元日、石川智規外野手は輪島市の実家が地震で全壊する被害に遭った。自身は県外へ旅行中だったため難を逃れたが、「野球どころじゃないという気持ちもあった」。選手主体のミーティングで野球をやる意義について対話を重ね、当時主将だった宝田一慧さんは「少しずつみんなが同じ方向を向けるようになった」と振り返った。

輪島市の学校施設が使えなくなり、山梨県に練習拠点を移して臨んだ選抜大会は初戦敗退。選手は落ち込むより、次のステップへ目を向けた。4月にチームの半数が輪島市へ戻り、東京都青梅市との2拠点に分かれて練習。選手たちはビデオ通話を利用して一体感を持って自主練習するなど「気持ちの部分で切れないように連絡を取り合っていた」(中村監督)。5月中旬には全員が輪島市に戻れた。夏の甲子園は出場を逃したが、秋の北信越大会で準優勝し、センバツ出場が有力視される。

9月には輪島市を豪雨が襲った。中村監督は選手を20人ずつ交代で連れて行き、泥が付いた家具を民家の外へと運び出すのを手伝った。以前よりも地元との交流が深まり、「ありがとう」、「頑張れ」と声を掛けられる機会が増え、岩手県出身の及川主将は「(輪島市の人と)気持ちが近くなった気がする」とうれしそうだ。

選抜大会で悔しさを経験した現2年生が率いるチームは応援を力に変え、被災地を勇気づけるプレーを誓う。及川主将は「日本一という目標に突き進んでいきたい」と力を込めた。

【時事通信社】 〔写真説明〕室内で練習する日本航空石川高校野球部の選手たち=2024年12月3日、石川県輪島市 〔写真説明〕選手を指導する日本航空石川高校野球部の中村隆監督(左)=2024年12月3日、石川県輪島市

2025年01月02日 19時06分


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