東日本大震災で甚大な被害を受けた企業の多くは、国の補助金などを支えに再建を図った。被災から14年を経て、事業を継続しながら、借入資金の返済に追われる日々。重い負担を抱える経営者からは「返すのに何十年もかかる」との声が聞かれる。
宮城県石巻市の水産加工会社「山徳平塚水産」。平塚隆一郎社長(65)は2011年3月11日、石巻漁港近くの事務所で激しい揺れに襲われた。カーラジオで津波警報の発令を聞き、従業員を避難させた後、妻と別々の車で同市内の実家へ。妻は津波に巻き込まれて一時行方不明になったが、近くに流れ着き、助け出された。
約1週間後に工場を見に行くと、建物の一部が残っただけで全壊。魚介類の加工用機器や冷蔵庫は、津波で使えなくなっていた。
政府の「グループ補助金」が創設されると、多くの同業者が震災前と同じ規模での再建を目指し、申請した。国と県が費用の4分の3を補助する手厚さに、「75%も出るならやろうという勢いがあった」と当時を振り返る。
平塚さんは悩んだ末、事業を縮小して補助金を活用することを決断。売り上げの約7割を占めていた練り製品の製造をやめ、伸びしろを見込んだ煮物や総菜に集約した。4分の1の自己負担分は無利子のローンを借り、13年夏に稼働にこぎ着けた。
震災前に4億円以上あった売り上げは、現在2.3億円程度に減少。3年ほど前から始まった返済は、年1000万円規模に上るが「売り上げには波もあり、同じペースで払い続けるのは難しい。まだ何十年もかかる」とため息まじりだ。
水産加工の工場が立ち並ぶ同じ地区では、年月の経過につれて倒産が目立つようになった。漁獲量や販路が回復せず「(事業を)小さくしていればよかった」と後悔する業者もいた。
平塚さんは、厳しい経営環境は今後も続くと予想。同じ地域の企業とブランドを立ち上げ、新商品を開発するなど試行錯誤を続けている。
【時事通信社】
〔写真説明〕震災後に他の企業と共同開発した商品を手にする「山徳平塚水産」の平塚隆一郎社長=2月7日、宮城県石巻市
〔写真説明〕東日本大震災の津波で被災し、建物内に乗用車が流れ着いた山徳平塚水産の工場=2011年3月、宮城県石巻市(同社提供)
2025年03月11日 07時04分