元Jリーガー遠藤康さん、視線は未来へ=鹿島と仙台でプレー―次世代のため指導に励む・東日本大震災14年



震災の記憶は消えないが、次のステップも大事だ。サッカーJリーグの鹿島と仙台で18年プレーした遠藤康さん(36)は昨季現役を退き、現在は故郷の仙台市にある少年サッカーチーム「なかのFC」の代表として活動している。東日本大震災から14年。「まだ普通の生活に戻っていない人がいるが、(震災を)知らない次の世代も出てきている。いろいろと変わりつつあり、僕は前向きに捉えている」と強調する。

鹿島に所属していた2011年3月11日、バス移動中に地震が発生。寝ていて揺れに気付かず、車内テレビの映像を見て事態の深刻さを知った。チームがある茨城県鹿嶋市は震度6弱を観測。断水もあったが、「自分たちも被災しているなんて言えなかった。仙台の海沿いとか、もっともっとひどい状況だったから」。

第1節の後に中断していたリーグ戦は4月23日に再開。鹿島はホームスタジアムを使えず、東京・国立競技場に横浜Mを迎えた。先発した遠藤さんは「仙台や鹿島サポーター、サッカーが好きな人に少しでも勇気を与えられればと」。チーム一丸となって戦った。

21年オフに仙台へ。鹿島一筋で引退する選択肢もあったが、「(移籍して)めちゃめちゃ良かった」。なぜなら、このチームで思いがけない出会いがあったからだ。同僚となった菅原龍之助選手(現栃木)が少年時代、遠藤さんも名を連ねる「東北人魂を持つJ選手の会」のイベントに参加していた。「『ここからJリーガーが出てきたら一緒にサッカーしたい』と子どもたちに伝えていた。まさかそれが実現されるとは」

22年夏、自身もOBの「なかのFC」の代表に就任した。サッカー熱の高い宮城県でトップ選手が生まれない現状に危機感を覚え、指導者の世代交代や意識改革が欠かせないと感じている。そして自身の被災地の子どもへの接し方には変化が生まれてきた。以前はどう声を掛けるか迷いもあったが、「普段通りが一番だと思うようになった。震災という言葉は使わなくなった」。復興支援が次の段階へ進む今、第二の人生を歩み始めた遠藤さんは未来だけを見ている。

【時事通信社】 〔写真説明〕なかのFCの練習体験会で笑顔を見せる遠藤康代表=1月26日、宮城県多賀城市 〔写真説明〕Jリーグの東日本大震災復興支援試合で、「Jリーグ

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ONE」の一員としてプレーする遠藤康さん=2012年7月21日、茨城・カシマサッカースタジアム

2025年03月11日 07時05分


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