王貞治と長嶋茂雄。「ON」はプロ野球史上最強のコンビだった。王が入団した1959年から74年の長嶋引退まで、16年間に巨人は優勝12回。この2人で首位打者、本塁打王、打点王の3タイトルを分け合ったことが6回あった。
王が初めて3番を打ったのは60年4月26日。「3番王、4番長嶋」の打順で戦った1061試合の始まりだった。王が62年に本塁打王、打点王になった頃から本格的にコンビが確立。長嶋は長打力より勝負強さを追求するようになった。
アベック本塁打は106回あった。最初は59年の天覧試合、最後は長嶋の引退試合となった74年の対中日ダブルヘッダー第1試合。共に球史に残る日に記録している。
ボールを強くたたいて右翼方向へ本塁打を量産する王は、きちょうめんで打ち始めると止まらないが、スランプも長い。長嶋は華麗に左右へ打ち分け、自由奔放で気持ちの切り替えが早い。
性格も違った。ある時、川上哲治監督が、ミーティング後に選手たちの理解度を知ろうとリポートを書かせたところ、王はびっしり書き込み、長嶋は一言「よく分かりました」。監督も思わず笑った。
一般的には中距離打者を3番、ホームラン打者を4番に置くが、川上監督は「燃える男」長嶋を4番に置き、時々入れ替えて刺激した。「NO」の打順も567試合。
王によると、現役の間は2人で打撃論を交わしたこともない。不仲もささやかれたが、王は「左と右だし、タイプも違うし、互いに競争する立場だから。でも、競い合うことでスランプも脱出できた」と言い、長嶋は「口げんかさえしたことがない。珍しいことだ」と述懐していた。
共に巨人の監督を1度務めた後、長嶋が12年の浪人生活を経て巨人に復帰したのに対し、王がダイエー(現ソフトバンク)監督の道を選んだところにも違いが表れている。2人は2000年日本シリーズで監督として顔を合わせた。
「努力の王、天才長嶋」とも言われた。王は荒川博コーチと重ねた猛特訓が有名だが、長嶋は努力する姿を隠す美学を持っていた。2度目の監督になった頃から、昨今の選手たちの甘さがじれったいのか、現役時代の猛練習をよく語るようになった長嶋。晩年、「ワンちゃん(王)は天才、僕は努力の人」と語った。
【時事通信社】
〔写真説明〕セ・リーグ8連覇を果たし、祝勝会で乾杯する長嶋(左)と王=1972年10月、兵庫県芦屋市
〔写真説明〕東京五輪の開会式で聖火ランナーを務める長嶋茂雄さん(中央)と王貞治さん(左端)、松井秀喜さん=2021年7月、東京・国立競技場
2025年06月04日 12時34分