
原爆資料館の子ども向け展示を巡る検討会議に、唯一の被爆者として参加する内藤慎吾さん(87)。悲惨な絵や写真を見せない方向に進めば、「被爆の惨状の風化につながる」と懸念する。資料を見てこそ核兵器廃絶に取り組めるとの思いから、子どもたちの見る機会を「奪っちゃいけん」と訴える。
内藤さんは6歳の時、爆心地から1.7キロの自宅で被爆。自身は防空壕(ごう)の中に吹き飛ばされ奇跡的に助かったが、7人家族のうち父や2人の兄、弟、妹が犠牲となり、母も被爆から8年後に亡くなった。2024年に広島市の「被爆体験証言者」となり、多い時は月6回の証言に臨む。
証言では、全身大やけどの人たちが焼けただれた皮膚をぶら下げ、下を向いたままぞろぞろ逃げて行く場面が描かれた資料館所蔵の絵を示す。子どもたちの表情に気を配り、耐えられない様子の子がいる時はなるべく早くスライドを切り替える。「凄惨(せいさん)な場面はショックを受けるのでいっぱいは見せない。でも見せないと分からんでしょう」と葛藤も抱える。
内藤さんの父は4日間の昏睡(こんすい)の末、突然起き上がり「天皇陛下、万歳!」と叫んで息を引き取った。周りには遺体が転がり、川の中にもたくさんの人が浮いていた。父や弟、妹が死んでも涙も出なかった。「この世の地獄。普通の感情がなくなってしまってたんでしょうね」
当時の光景は、どんな絵や言葉でも「表現のしようがない」。その中でも「悲惨な資料を見て、原爆が落ちたらこんなことになるのか、こんな原爆を地球上で使ってはいけない、ということをその目で確かめてもらいたい」と願う。
内藤さんが接した子どもたちからは「原爆を落としたおかげで戦争が終わった」という声も聞かれたという。「こうした意見が強くなれば、核を持つことが正当化されてしまう」と危機感を抱く内藤さん。「悲惨さを伝えるのが資料館の使命。二度と核兵器が使われないよう語るのが生き残ったもんの使命。生きとる間は使命を果たさないといけない」。
【時事通信社】
〔写真説明〕インタビューに答える内藤慎吾さん=7月17日、広島市中区
2026年08月03日 07時01分