悲惨な光景「忘れられない」=元救助隊員、風化懸念も―歌舞伎町ビル火災25年



東京・歌舞伎町の雑居ビルで2001年、44人が死亡した火災から1日で25年。当時、東京消防庁の特別救助隊員として救出活動に当たった職員3人が取材に応じ、「目を背けたくなる悲惨な光景だった」「いまだに忘れられない」と壮絶な現場を振り返った。

01年9月1日午前1時ごろ、新宿消防署の事務室で作業をしていた川越貴史さん(54)に入った一報は、「ビルから飛び降り」という無線の声だった。「嫌な予感がする」。そう思った直後に5階建てビルで出火との情報が入り、現場に向かう途中で「逃げ遅れが多数いる」と知らされた。

現場に到着すると、火元も分からないままビル内に急いだ。2階から3階に上がる際、幅約70センチの狭い階段にはカラーボックスや袋などが置かれ、物にぶつかりながらなんとか前進。黒煙に襲われ、川越さんは「階段の壁は溶鉱炉のように真っ赤に燃え、尋常じゃない熱気だった」と振り返った。

「男性か女性か分からないほどすすに覆われた状態で非常に多くの方が折り重なっていた」。平井太さん(62)は、ようやくたどり着いた3階のマージャンゲーム店内の調理場付近で見た光景が今も脳裏に焼き付いている。重なるように倒れている10人ほどの人の山を目にしたという新谷昭洋さん(52)も「衝撃を受けた。いまだに忘れられない」と悲痛な表情で語った。

3階から17人を救出し、川越さんらの体力と気力は限界に達したが、4階にもまだ逃げ遅れが20人ほどいるとの情報が入った。上の階に駆け付けたが、倒れている人は呼び掛けなどに反応がなく、「絶望感があった」という川越さん。全員を救出し終えた後は放心状態だったという。

川越さんは「いまも避難経路に障害物が置かれているビルがあるなど課題はある」と指摘し、風化を懸念している。教訓を生かしてビル所有者らと連携し、防火管理体制などの啓発を行っているといい「地域と一体となって街の安全に取り組みたい」と力を込めた。

【時事通信社】 〔写真説明〕インタビューに応じる東京消防庁の元救助隊員の(左から)平井太さん、川越貴史さん、新谷昭洋さん=8月18日、東京都千代田区

2026年09月01日 07時04分


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