三笠宮妃百合子(みかさのみやひ・ゆりこ)さまは15日午前6時32分、老衰のため、入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)で亡くなられた。101歳。明治以降の皇室では最高齢だった。
百合子さまは脳梗塞と誤嚥(ごえん)性肺炎、心不全のため、3月3日から同病院に入院していた。今月7日の検査で、心臓や腎臓など全身の機能低下が判明。宮内庁によると、一般病室で療養を続けていたが、15日早朝から血圧が低下し、穏やかに息を引き取ったという。
容体悪化を受け、孫の三笠宮家の彬子さまが9日朝に訪問先の英国から急きょ帰国。以降、彬子さまをはじめ皇族方や親族が連日、同病院をお見舞いに訪れていた。
1923年6月4日、子爵・高木正得氏の次女として誕生した。叔父は昭和天皇の侍従長を務めた入江相政氏。41年に女子学習院本科を卒業し、同年10月、18歳で昭和天皇の末弟、三笠宮さまと結婚、3男2女をもうけた。
太平洋戦争中の45年5月には赤坂御用地(港区)内の宮邸が空襲で全焼し、防空壕(ごう)での生活を経験。戦後は、古代オリエント史の研究者でもあった三笠宮さまを支える一方、恩賜財団母子愛育会(港区)の総裁を62年間、着物文化の普及や伝承などに取り組む民族衣裳文化普及協会(中央区)の名誉総裁を31年間務め、日本赤十字社名誉副総裁も務めた。
ご夫妻で56年のセイロン(現スリランカ)を最初に、欧米や南米、トルコなど各国を訪れ、国際親善にも尽くした。
2002年に三男高円宮さまが47歳で亡くなり、12年に長男寛仁さま、14年に次男桂宮さまがいずれも66歳で亡くなった。16年に夫の三笠宮さまが100歳で亡くなった後、三笠宮家の当主を務めていた。
99年に心臓ペースメーカーを埋め込む手術をし、07年に大腸がんの手術を受けた。20年には心不全と診断された。22年には新型コロナウイルスに感染し、約2週間入院した。
23年6月に100歳の誕生日を迎え、宮内庁を通じ「これからも人々の幸せを祈念しつつ、日々を過ごしてまいりたい」と文書で所感を寄せた。
今年は元日、皇居・宮殿で新年祝賀の儀に出席し、上皇ご夫妻への新年のあいさつで仙洞御所を訪れた。入院中の6月に101歳の誕生日を迎え、明治以降の皇室では三笠宮さまを超えて最高齢となった。
皇族の逝去は、三笠宮さま以来8年ぶり。百合子さまが亡くなったことにより、皇室の構成は16人となった。
【時事通信社】
〔写真説明〕三笠宮妃百合子さま
〔写真説明〕聖路加国際病院を出られる三笠宮家の彬子さま=15日午前、東京都中央区
〔写真説明〕心臓手術を受けた三笠宮さまの退院に付き添われる同妃百合子さま=2012年8月、東京都中央区の聖路加国際病院
〔写真説明〕三笠宮妃百合子さまの逝去に弔意を表し、国会議事堂に掲げられた半旗=15日午前、東京・永田町
2024年11月15日 13時32分