
熊本県合志市の宮崎さくらさん(47)は、熊本地震の災害関連死で当時4歳だった次女を失った。「同じように亡くなる子どもを1人でも減らしたい」。本震から16日で10年。入院先が被災し、転院を余儀なくされた娘の境遇を語り継ぐことが「関連死ゼロ」につながると前を向く。
次女花梨ちゃんは先天性の心臓病を抱え、2歳からは24時間、酸素チューブを着用するように。大好きだった二つ上の長女柑奈さん(16)と同じ幼稚園に通うため、つらい治療にも不満は一切口にせず、必死で頑張っていたという。
地震の約3カ月前の2016年1月、3度目の手術に向け、移転前の熊本市民病院に入院。手術は成功したものの、合併症で重い肺炎を患った。本震が起きたのは集中治療室で闘病していた際。主治医から「また大きい地震が来たら治療を続けられるか分からない」と転院を促され、さくらさんらは福岡市内の病院に移ることを決めた。
重い肺炎を引き起こした状態での転院には危険が伴った。移動時間は少しでも短いほうがいい。だが、気圧の影響を避けるためドクターヘリは使えず、救急車で向かうことに。出発から約4時間後、面会した次女の姿は「今まで見た中で一番ひどい状態だった」。5日後の早朝、花梨ちゃんは息を引き取った。
周囲が復興へと歩み始めても、孤独感が募る日々。さくらさんは災害関連死の認定申請など考えもしなかったが、夫貴士さん(47)から「花梨が頑張って生きた証しとして申請したい」と告げられ、思い直した。
つらい記憶を何度も思い返しながら、花梨ちゃんが亡くなるまでの経緯を書き込んだ書類を提出。同年8月末に認定を受け、「花梨の頑張りを認めてもらえた」と少しだけ気が和らいだ。
「災害がある限り、関連死がなくなることはないが、ゼロに近づけることはできるはず」。そんな思いから、24年、支援者と共に任意団体「災害関連死を考える会」を立ち上げた。発足日は東日本大震災が発生した3月11日。以来、他の遺族や医療、行政関係者らとオンラインで意見交換を重ね、医学生らに講演も行っている。
かつて姉妹の遊び場だった自宅リビングの一角は、思い出の品であふれる「花梨の部屋」となっている。今でも花梨ちゃんの夕食も用意するさくらさん。10年たっても悲しみは癒えないが、天国で再会したとき、「『よくやったね』と言ってもらえるよう頑張り続ける」と力を込めた。
〔写真説明〕生前、病室で雪だるまをつくる宮崎花梨ちゃん=2016年1月24日、熊本市東区(遺族提供)
〔写真説明〕取材に応じる宮崎さくらさん=2月28日、熊本県合志市
〔写真説明〕宮崎花梨ちゃんとの思い出の品を手にする母親のさくらさん=2月28日、熊本県合志市
〔写真説明〕宮崎花梨ちゃんのために購入したランドセル=2月28日、熊本県合志市
2026年04月16日 07時07分