「水俣病は終わっていない」=胎児性患者の坂本さん―5月1日で公式確認70年・熊本



「公害の原点」とされる水俣病の公式確認から5月1日で70年。「水俣病は終わっていない」。母親の胎内でメチル水銀の被害を受けた胎児性患者の坂本しのぶさん(69)=熊本県水俣市=は、症状がある人全員を認定することが水俣病の解決につながるとして、原因企業チッソ(東京都)や国などに「ちゃんと責任を取ってほしい」と訴える。

水俣病は1956年5月1日、病院が保健所に「原因不明の疾患が発生している」と報告したことで公式確認された。坂本さんは2カ月後の同年7月、目の前に不知火海が広がる水俣市の湯堂地区に生まれた。タチウオやエビ漁などで生活していた両親、4歳で亡くなった姉も認定患者だった。

6歳ごろまで歩けなかった坂本さんは、62年11月に水俣病と認定された。1年遅れで特殊学級(現在の特別支援学級)がある水俣市立第一小学校に入学。ただ、自宅から遠く、週末は帰れたものの、小学3年生までは入院した病院からの通学を余儀なくされた。

月曜日と雨が憂鬱(ゆううつ)だった。全校児童が集まる週明けの朝礼では、他の児童が坂本さんの歩き方をまねて、からかった。雨の日には、レインコートの着脱に苦戦する姿に周囲から冷たい視線が向けられた。中学校生活も含め、学校の記憶は「楽しいものではなかった」という。

国は68年9月、チッソが流した有機水銀が水俣病の原因とする正式見解を示した。患者らは翌年6月、チッソに損害賠償を求める訴訟を熊本地裁に起こし、幼かった坂本さんも原告に名を連ねた。「怖いと思うくらい真剣だった」という原告の大人たちの表情を今も鮮明に覚えている。

地裁は73年3月、原告側の訴えを認め、チッソに賠償を命じた。しかし、坂本さんは「病気は治らないから全然うれしくなかった」と振り返る。「やりたいことや仕事をしたくても、他の人と同じようにはできない」。上京してチッソとの補償交渉に臨んだが、沈黙する幹部らを見て、責任を認めたくないのだと感じた。

もし水俣病でなければ「子どもが好きなので保育士になりたい」「全力で走ってみたい」と夢を語る坂本さん。チッソへの憤りは消えないが、「自分の生まれたところだから」と、水俣や不知火海を「好き」と思う気持ちは変わらない。自身も今年で70歳を迎える。「それだけかかっても何も解決していないと思うと悔しい」と言葉を振り絞った。

〔写真説明〕取材に応じる水俣病胎児性患者の坂本しのぶさん=4日、熊本県水俣市

2026年04月30日 07時11分


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