
テニスのウィンブルドン選手権が29日に開幕する。1975年に女子ダブルスで優勝し、日本女子で初めて四大大会の頂点に立った沢松(現姓吉田)和子さん(75)が時事通信のインタビューに答え、当時を振り返った。
170センチ超の恵まれた体格で、欧米選手にも引けを取らなかった。ミスが少なく、安定したストローク力が持ち味。「技術的に私はステディー(堅実)。とにかくみんなに『もっと攻撃しなきゃ』と言われるくらいの選手だった」と控えめに話すが、わずか16歳で全日本選手権を制すと国内大会では192連勝。無類の強さを誇った。
聖地ウィンブルドン挑戦は68年大会が初。日本で敵なしでも予選からのスタートだった。とにかく過酷で、本戦出場を決めた日の帰り道に「二度とここには帰ってこない、と心に決めた。それぐらい精神的に厳しかった。すごくそれが原動力になった」と振り返る。
それから7年。沢松さんは現役最後となったウィンブルドンに臨んだ。シングルスは3回戦で敗れたが、日系米国人のアン清村さんと組んだダブルスで勝ち上がった。「どんな逆境になっても彼女は強気な姿勢が変わらなかった。試合中は、彼女が一生懸命引っ張ってくれた」と感謝する。
決勝の相手は、全米オープンなどを制したフランスとオランダのペア。沢松さんがラリーで展開をつくり、清村さんが決める。激戦を繰り広げ、ついにマッチポイントを握った。体が硬直する感覚にも襲われる。「打ちたくない。私のところに来ないで」と念じたのをよく覚えている。相手のリターンはネットを越えなかった。
当時はダブルスに専念する選手はいなかった。「シングルスで世界トップ10に入っている人たちが常に勝っていたイメージがあった。信じられなかった」。喜びも驚きも大きかった。
現在の女子テニス界については「次から次へと選手が出てくる。今はレベルも高いし、体の能力も必要。私たちの時代とは比べようもないくらい厳しい」と話す。何度も繰り返したのは「自覚」という言葉。「(ランキングを)キープして上がっていくために何をするべきか。それぞれの自覚がすごく大切」
選手の躍進は国内選手人口の増加につながる。「錦織(圭)選手が活躍した頃は、テニスクラブはジュニアでいっぱいだった。活躍する選手がいないと、子供たちが憧れて始めることがなくなってしまう」。世界で輝く選手が今後も出てくることを期待した。
◇沢松和子さんの略歴
沢松
和子さん(さわまつ・かずこ)現姓吉田。1967年に16歳で全日本選手権初優勝。69年全仏オープン、ウィンブルドン選手権の女子ジュニア部門で優勝。73年全豪オープンで女子シングルス4強。75年ウィンブルドン女子ダブルスで優勝。姉の順子さん、めいの奈生子さんも元プロテニス選手。兵庫県出身。75歳。
【時事通信社】
〔写真説明〕1975年のウィンブルドン選手権女子ダブルスで優勝した沢松和子さん(中央)(日本テニス協会提供)
〔写真説明〕インタビューに答える元プロテニス選手の沢松(現姓吉田)和子さん=11日、千葉県柏市
〔写真説明〕インタビューに答える元プロテニス選手の沢松(現姓吉田)和子さん=11日、千葉県柏市
2026年06月25日 07時10分