人生変えたパーフェクト=高度成長期のヒロイン「律子さん」―中山律子さん死去



7日死去した中山律子さんは、実業団で所属していたバレーボール部が廃部になって、ボウリングと出合った。魅力に引かれ、失いかけていたスポーツへの情熱を全て注ぐ。1967年全日本オープンで準優勝。69年に第1回女子プロテストが行われたのも、運命的だった。

中山さんを一躍有名にしたのは、70年のパーフェクト。第9フレームまでストライクを重ね、女子プロ初の快挙が目前に。観客がざわめいたが、いつも通りゆっくりした助走から最終12投目を放ち、全てのピンをはじき飛ばした。

さらに翌年、シャンプーのテレビCMに出演。商品名のキャッチコピーに掛けて「さわやか律子さん」の異名が付く。高度成長で少し余裕ができ始めた庶民に、ボウリングという手軽で健全な娯楽を広めるヒロインになった。のちに「優勝だけを考えて、終盤までパーフェクトに気付かなかった。あの1ゲームが私の人生に与えた影響は大きかった」と振り返っている。

人気だけで終わらなかった。公式戦33勝。大きかったのは須田開代子さんの存在だ。プロテストは須田さんが1位、中山さんは2位。その後も「実力の須田、人気の中山」と呼ばれた。「負けたくない」。所属していたボウリング場の隣が東京タワーだった中山さんは、590段の階段で足腰を鍛えた。「須田さんがいたから続けられた」と話していた。

95年、57歳で亡くなった須田さんに「あなたは永遠にボウリングの女王だからね。もうゆっくり、そのままほほ笑んでいて。あなたの分まで、後輩プロが頑張るから、見守ってちょうだい」と弔辞を読んでいる。ファンや関係者は、中山さんにも同じ言葉を贈るだろう。

【時事通信社】 〔写真説明〕1970年代にボウリングブームを支えたプロボウラーの中山律子さん

2026年11月07日 20時31分


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