東日本大震災で親を亡くした子どもたちを支援するため、一般財団法人あしなが育英会(東京)が岩手、宮城の両県に「東北レインボーハウス」を設置してから10年以上が経過した。「1人じゃないよ」。同じ系列施設で支援を受けた阪神大震災の遺児らとの触れ合いも続いており、つらい別れを経験し、同じような不安や悩みを分かち合える交流の輪が広がっている。
同会が阪神大震災で把握した震災遺児は573人に上る。1999年に国内初の遺児の心のケアに取り組む施設として「神戸レインボーハウス」を神戸市内に設置し、長期にわたって支援を続けた。
同会によると、東日本大震災の遺児は2083人。2014年に仙台市と宮城県石巻市、岩手県陸前高田市にレインボーハウスを順次完成させた。館内には神戸の施設と同様、自由に交流できる「おしゃべりの部屋」や、感情を発散できるようサンドバッグがつるされた「火山の部屋」もある。心のケアの一環で、家族との死別体験を語り合う場も設けているが、強制はせず、個々の心情に配慮する。
二つの震災の遺児同士の交流行事が始まったのは16年から。定期的に神戸や東北のレインボーハウスで集まり、お互いの近況を語り合うなどしてきた。
阪神大震災で母親を亡くした福井友利さん(34)は東日本大震災後、同会の活動で東北の被災地を訪れ、遺児との交流を重ねてきた。「同じような境遇の人がいること、『1人じゃないよ』ということを伝えたい」との思いを持ち続けている。
同会によると、東北の遺児は結婚や就職を迎える年代に差し掛かり、不安から決断に悩む人が少なくないという。
今年1月、阪神大震災の発生から30年を迎えるのを前に、神戸レインボーハウスで開かれた追悼集会には、東日本大震災に加え能登半島地震の遺児らも参加した。あいさつに立った福井さんは「お母さんが亡くなってしまったことは寂しく悲しいことで、会いたい気持ちは今でも変わらない」と素直な心境を打ち明けた。
集会後、参加した遺児それぞれが思いを語り合う場が設けられた。ある遺児は「悲しいときは悲しいで、しっかり自分の気持ちを表現できることが重要だ」と語った。
【時事通信社】
〔写真説明〕阪神大震災、東日本大震災、能登半島地震の遺児・遺族の追悼と交流のつどいであいさつする福井友利さん=1月11日、神戸市東灘区
2025年03月12日 07時02分