フランシスコ・ローマ教皇死去、88歳=初の中南米出身、来日で核廃絶訴え―米キューバ国交回復を仲介



【パリ時事】キリスト教最大教派、カトリック教会の最高指導者として約14億人の信者を束ねたフランシスコ・ローマ教皇が21日午前7時35分(日本時間同午後2時35分)、バチカン市の自宅で死去した。教皇庁が発表した。88歳だった。アルゼンチン出身。初めて中南米から選ばれた教皇で、米国とキューバの歴史的な国交回復を仲介した。2019年の訪日では被爆地の広島、長崎から世界に核兵器廃絶を訴えた。

教皇は世界最小国家バチカン市国の元首。後継者は高位聖職者の枢機卿らの互選による選挙「コンクラーベ」で決まる。

教皇は3月下旬、肺炎の治療で1カ月余り入院したローマ市内の病院を退院した。2カ月にわたり自宅療養する予定だったが、イースター(復活祭)の今月20日にはバンス米副大統領と会談。サンピエトロ広場に専用車に乗って現れ、大勢の信者に手を振るなど、死去の直前まで精力的に活動した。

本名ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ。1936年、ブエノスアイレスでイタリア系移民の家庭に生まれた。大学で化学を専攻後、神学校で哲学や神学を修め、32歳で司祭になった。ブエノスアイレス大司教を経て、2001年に枢機卿。先代のベネディクト16世が13年2月に退位すると、翌3月に76歳で第266代教皇に選ばれた。

教皇名「フランシスコ」は中世イタリアの清貧の聖人に由来。在位中は貧者、弱者に寄り添う姿勢を貫き、聖職者による未成年者への性的虐待で傷ついたカトリック教会の信頼回復に努めた。

15年に実現した米国とキューバの54年ぶりの国交回復に尽力。両国首脳に書簡を送り、秘密交渉を後押しした。

19年11月には教皇としてヨハネ・パウロ2世以来38年ぶりに訪日。4日間の滞在中、被爆者の証言に耳を傾け、東京ドームで5万人規模のミサを挙行した。東日本大震災の被災者にも面会し、犠牲者に黙とうをささげた。

近年は手術や入退院を繰り返し、健康面で不安を抱えていた。ただ、ロシアによるウクライナ侵攻の解決に向けて特使を派遣するなど、世界平和を追求し続けた。

24年にイタリアで開催された先進7カ国首脳会議(G7サミット)に教皇として史上初参加。人工知能(AI)を「倫理」に即して規制するよう提唱した。25年に発足した第2次トランプ米政権を巡っては、不法移民の強制送還を厳しく批判した。

【時事通信社】 〔写真説明〕6日、バチカン市のサンピエトロ広場で行われたミサに参加したフランシスコ・ローマ教皇(AFP時事) 〔写真説明〕広島平和記念公園で、核兵器廃絶を訴えるフランシスコ・ローマ教皇=2019年11月、広島市中区

2025年04月22日 08時17分


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