1929年10月24日、のちに「暗黒の木曜日」と呼ばれる米国の株価大暴落から始まった不況の連鎖は、欧米列強を自国と植民地で囲い込む「ブロック経済」へと向かわせた。排他主義が第2次世界大戦の惨禍を招いた反省から戦勝国が主導した自由貿易体制は、飛躍的な経済発展と共に不均衡も生み、再び保護主義が台頭した。自由貿易は平和の礎か、それとも紛争の火種か―。国際秩序は大きく揺らいでいる。
◇満州建国
世界恐慌の震源地、米国は工業生産が半減し、街に失業者があふれた。30年に自国の産業を保護するために高関税や輸入制限を導入すると、各国が対抗。貿易は停滞し、32年には当時の主要75カ国の輸入総額が29年の4割以下まで減少した。
日本は主要産品だった生糸の輸出先を失い、農村経済を支えていた養蚕業が大打撃を受けた。凶作も重なって極度の貧困に陥り、欧米に対抗して中国大陸に独自の経済圏を築こうと軍事進出した。
32年に満州国を建国。疲弊した農村経済の立て直しや食糧増産を目的に、国策として終戦までに約27万人とも言われる移民を送り込んだ。
中国とは全面戦争に突入した。戦局が泥沼化すると、東南アジアにも進出。米英両国との対立はさらに深まって石油の輸入も封じられ、日本は太平洋戦争へと突き進む。
◇GATTからWTO
欧州で戦火が広がる41年8月、米英首脳は秘密裏に会談。この時に交わされた「大西洋憲章」に「あらゆる国家が経済的繁栄に必要とされる均等な開放を享受すべく努力する」という自由貿易の理念がつづられた。
これを出発点として47年に成立した関税貿易一般協定(GATT)体制下で、関税削減が進められた。終戦前後に40~50%だった先進国の平均関税率は、半世紀後に3%前後まで低下した。
市場開放は貿易摩擦というゆがみも生んだ。輸出競争力を強めた日本に対し、米国は70年代にカラーテレビなどの分野へ輸入制限を拡大。80年代には対日貿易赤字を問題視し、自動車の輸出を自主規制するよう迫った。
GATT体制を引き継いで95年に発足した世界貿易機関(WTO)は、こうした一方的な措置を禁じ、国際法に基づいて貿易紛争を裁く仕組みを採り入れた。WTO設立を決めたGATTウルグアイ・ラウンドで日本の首席交渉官を務めた赤尾信敏氏は、「WTO最大の価値は紛争解決制度だ」と振り返る。
自由貿易は黄金期を迎え、2024年の世界貿易量はGATT成立直後の45倍に膨らんだ。01年に加盟した中国は日本がたどった道をなぞるように「世界の工場」として急速に輸出大国化し、米国の対中貿易赤字が拡大した。
◇「自国第一」
17年に発足したトランプ米政権は中国に制裁関税を発動し、中国も報復関税で応じる米中貿易摩擦に発展した。そのあつれきは経済安全保障の機運を高め、各国を半導体など重要物資の囲い込みへと走らせた。
保護主義に対する抑止力は弱まった。今年再び米大統領の座に就いたトランプ氏は「自国第一主義」の姿勢をさらに強め、日欧の同盟国にも容赦なく高い関税をかけた。東大大学院の鈴木一人教授は「安定した国際社会の仕組みが壊れていく入り口に立っている」と指摘する。
経済の分断が衝突の前兆となるのは歴史の教訓だ。第2次大戦末期の45年1月、4期目の就任演説に臨んだフランクリン・ルーズベルト米大統領はこう語った。「われわれは1国で生きられない事実を学んだ。わが国の繁栄は、遠い地にある諸国の安寧に依拠している」。
【時事通信社】
〔写真説明〕国・地域別の相互関税率の表を掲げるトランプ米大統領=4月、ワシントン(AFP時事)
〔写真説明〕GATTウルグアイ・ラウンドの最終文書に署名する各国閣僚ら=1994年4月、モロッコ・マラケシュ(AFP時事)
2025年08月28日 14時34分