世界平和に奔走=退任後の活躍で脚光―生粋の理想主義者・カーター氏死去



大統領在任中は経済の失政や在イラン米大使館人質事件の人質救出作戦失敗で国民の不興を買ったが、退任後には紛争を平和的に解決するため世界中を奔走した。「人権外交」を徹底追求する姿勢を持ち続け、「最も成功した元大統領」とも評された。

ニクソン元大統領辞任につながったスキャンダル「ウォーターゲート事件」の記憶が生々しかった1976年の大統領選で、ワシントン政治の「アウトサイダー」としてクリーンなイメージを売りに当選。中央政界に新風を吹き込むと期待された。

エジプトとイスラエルの平和条約締結をもたらしたキャンプデービッド合意という歴史的な外交実績を残したものの、第2次石油危機や高インフレなど内政課題への対応に苦戦した。米国が「自信の危機」という脅威に直面していると警鐘を鳴らし、国民に団結を呼び掛けたが、80年の大統領選で共和党のレーガン候補に再選を阻まれた。

キリスト教バプテスト派の敬けんな信徒で生粋の理想主義者。信念の対話外交で手腕を発揮したのは退任後だった。94年の北朝鮮核危機では、自ら平壌に飛んで金日成主席と直談判し、事態打開に成功。続いて民政移管を拒否するハイチ軍事政権から退陣の約束を取り付けた。

2002年にはキューバ革命以来、米大統領経験者としてキューバを初訪問し、当時のフィデル・カストロ国家評議会議長と会談。同年に受賞したノーベル平和賞授与式の演説では「戦争は時として必要悪かもしれないが、どんなに必要でも常に悪であり善ではない」と語り、人類の平和共存を模索するよう訴えた。

こうした国際貢献が世界の称賛を集めた一方で、敵対国の指導者と自発的に対話する「フリーランス外交」が時の政権との摩擦も生んだ。大統領経験者としては異例の政権批判をしばしば行い、無人攻撃機によるテロリスト掃討作戦が人権侵害に当たるとして、オバマ政権(09年1月~17年1月)を酷評したこともあった。

【時事通信社】 〔写真説明〕握手を交わす(左から)エジプトのサダト大統領、カーター米大統領、イスラエルのベギン首相(肩書は当時)=1979年3月、ワシントン(AFP時事) 〔写真説明〕訪朝したカーター元米大統領(左)と北朝鮮の金日成主席(右から2人目)=1994年6月、西部・南浦(朝鮮通信・時事)

2024年12月30日 20時54分


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