
全国戦没者追悼式の遺族代表、金森武士さん(84)=岐阜県大垣市=の父伊作さんは、金森さんが生まれて間もなく出征し、フィリピンで戦死した。戦後81年。風化に危機感を抱き、「戦争をすれば自分たちが犠牲になる。話し合いが大事だ」との思いを追悼の辞に込めた。
伊作さんは、金森さんが生まれて1週目の1942年2月に出征。45年5月、激戦地だったルソン島で戦死した。戦友から、爆弾を抱え米軍の戦車に飛び込む「戦車撃滅隊」として亡くなったと聞いた。32歳で、遺骨も戻らなかった。
一方、金森さんと母が住む大垣市でも45年7月、原爆投下の訓練で大型爆弾が使われるなどした空襲があった。当時3歳で、夜に逃げ、朝戻ったら家が焼失していたのをうっすらと覚えている。父の写真や手紙はほぼ残っておらず、母に尋ねても「戦争に行った」としか教えてくれなかった。
戦後は、母と祖母が紡績工場や金物屋などで働き、育ててくれた。母らに大事にされたが、「家族そろって夕食を食べているところを見ると、うらやましかった」と振り返る。今も「一緒にどこか行きたかったし、お酒も飲みたかった」と父を思う。
父が戦死した年齢に近くなった時、「死んだ所くらい知りたい」と考え、フィリピンでの遺骨収集に参加。以来数回赴き、豚小屋の下から遺骨が見つかった際は「こんな所で眠っていらっしゃった」とやるせない気持ちに襲われた。
海外などでの戦没者約240万人のうち、約112万柱が未回収となっている。父が戦死したとされる場所は今では民家が建ち、収集作業は難しいが、「できるだけ、一体でも帰してほしい」と願っている。
戦後、平和が長く続いたことで「多くの人にとって、戦争が自分には関係のないことになっているのでは」と懸念する。追悼の辞に、戦没者の犠牲について「次世代へ語り継ぐことが使命だ」との一文を盛り込んだ。世界で戦火が絶えない中、「戦争はあってはならない」との思いを強めている。
【時事通信社】
〔写真説明〕全国戦没者追悼式で、追悼の辞を述べた遺族代表の金森武士さん(手前)=15日午後、東京都千代田区
〔写真説明〕全国戦没者追悼式で、追悼の辞を述べる遺族代表の金森武士さん=15日午後、東京都千代田区
〔写真説明〕全国戦没者追悼式を前に、取材に応じる遺族代表の金森武士さん=14日、東京都千代田区
2026年08月15日 14時49分