「任務達成できず」にじむ無念=最初の地上放水の警視庁指揮官―福島第1原発事故・東日本大震災15年



東日本大震災の津波により電源喪失した東京電力福島第1原発で、最初に地上放水した警視庁機動隊を現場で指揮した大井川典次さん(71)が8日までに取材に応じた。途中で退避を余儀なくされたことを振り返り、「15年たっても指揮官として任務を達成できなかったという気持ちは変わらない」と無念さをにじませた。

爆発物処理やNBC(核・生物・化学)テロ対策の担当管理官だった大井川さんは2011年3月16日朝、上司の警備2課長から「原発に行ってくれないか」と命じられた。職務上、低線量の放射線を含む爆発物の対処知識はあったが、原発事故レベルの活動は想定していなかった。

「避難誘導ぐらいしかできないのではないか」と考えたが、与えられた任務は、前例のない使用済み核燃料プールへの地上からの放水だった。プールの水が蒸発し、露出した燃料棒の損傷による大量の放射性物質の放出を防ぐためで、各機動隊から高圧放水車を操作できる隊員10人が招集された。

正午ごろ、東京・霞が関の同庁本部を出発。ヘリや自衛隊のバスを乗り継ぎ、翌日午前3時に中継拠点「Jヴィレッジ」(福島県)に到着した。自衛隊ヘリが3号機上空から放水した約1時間後の午前11時ごろ、福島第2原発に入り、地上放水が正式に決まった。

午後3時40分に第1原発に到着。吉田昌郎所長(故人)と面会し、原子炉建屋の壁が高く「水が届いたとしても霧になるかもしれないがいいか」と尋ねると、吉田所長は「大丈夫です」と答えたという。

「撃て!」。午後7時5分、10人を3班に分けた第1陣が、大井川さんの合図で3号機に放水を始めた。ただ、放水終了直後、毎時80ミリシーベルトに上限を設定していた線量計が鳴ったという報告を受け、一時退避した。自衛隊の放水車の準備が整ったこともあり、当初予定していた3回の放水計画のうち2回を残して任務を終えた。

「私も隊員もやる気満々だった。東電の人たちが目の前で疲れ切って作業しているのに途中で引き揚げるのは、全て指揮官の責任」。大井川さんは悔しげに話す一方で、「隊員がけがなく引き揚げることができたという面もあり複雑だった」と振り返った。

大井川さんは、中部電力浜岡原発の地震想定に関するデータ不正問題に触れ、「15年前の事故を忘れてしまったのか。警察が原発事故の現場に行くことは二度とないと思っていたが、またあるかもしれないと考えてしまう」と案じた。

〔写真説明〕東京電力福島第1原発で高圧放水車の点検をする警視庁の機動隊員ら=2011年3月17日(警察庁提供)

2026年03月10日 16時17分


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