
結成70年を迎えた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は「再び被爆者をつくるな」と国内外で奔走してきた。運動を担う被爆者らに、果たしてきた役割や、高齢化する中での今後の展望を聞いた。
代表理事の横山照子さん(85)は、長崎原爆被災者協議会で半世紀以上、被爆者の生活や健康の相談に乗ってきた。日本被団協が結成されるまでの状況を「医療費支給も何もなかった。差別や偏見もあり、『死んだ方がましだ』と言う人が大勢いた」と振り返る。
1954年、米国の水爆実験による第五福竜丸被ばくで全国的に原水爆禁止運動が高まる中、被爆者も声を上げた。56年8月、日本被団協が結成。「差別を恐れ隠れていた被爆者が証言し、苦しみが続いていると分かった。社会の大きな関心事になった」と言う。
運動を背景に翌57年、被爆者援護で初の法律として原爆医療法(現被爆者援護法)が成立。ただ、対象は健康診断など一部に限られた。日本被団協は政府との交渉や座り込みを重ね、医療費の公費負担を実現。横山さんは、被爆した家族を白血病やがんで失っており、「自分たちが生活していく上で大事な大事な活動だった」と力を込める。
日本被団協は70年代から国連の会議や核保有国で体験を証言し、核兵器廃絶を訴えてきた。代表委員だった故山口仙二さんの「ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」の演説は今も語り継がれている。
田中熙巳代表委員(94)はこうした活動を「国際的な反核世論を盛り上げ、運動を大きくした」と評価。2017年成立の核兵器禁止条約に結実したと指摘し、「核は二度と使われてはならないとする国際規範『核のタブー』を形成したとして、ノーベル平和賞受賞につながった」と話す。
東西冷戦下での分裂の危機を乗り越え、組織が70年続いたのは「核兵器の被害は、あってはならないと体に染み付いていたからだ」と強調。「人間は核を造る技術を持ってしまった。廃絶が実現しても運動は続くべきで、人類の問題だ」と先を見据える。
だが、被爆者の平均年齢は86歳を超え、惨禍を知る当事者が活動を続けられる時間は少ない。日本被団協二世委員会の大村義則さん(70)は「被爆者は証言することで核戦争を阻止してきた。この意義ある運動を、支援者と共に引き継いでいきたい」と語った。
〔写真説明〕取材に応じる日本被団協の横山照子代表理事=7月23日、長崎市
〔写真説明〕日本被団協の定期総会で発言する二世委員会の大村義則さん=6月18日、東京都千代田区
〔写真説明〕若い世代との対話イベントで日本被団協の活動について語る田中熙巳代表委員=7月31日、東京都渋谷区
2026年08月11日 07時08分