
「祖母の命と引き換えに81年間、十字架を背負って生きてきた私の記憶はただの昔話なのでしょうか」。長崎市の平和祈念式典で、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げた本村チヨ子さん(87)は、平和を願う自身の思いに逆行する国際情勢を危惧し、世界の指導者に憤った。
81年前は6歳だった。爆心地から4.5キロの長崎県福田村(現長崎市)にある自宅の縁側で被爆した。「目の前に大きく異様な火の玉がさく裂した」と本村さん。そばにいた祖母がとっさに覆いかぶさってくれ、ほぼ無傷で済んだ。
だが祖母は、背中に無数のガラス片が突き刺さり、その影響で翌年3月に亡くなった。十分な治療を受けられず、息を引き取るまでの間、一度もあおむけで休むことができなかった。
叔母がある時、こう話した。「お前がそこにおらんやったら、かかさん(祖母)もけがせんじゃったろうに」。悪気がないと分かっていながらも、この言葉を十字架のように感じ、忘れることができなかった。
戦後は長年、理容師として働いた。2009年からは長崎県被爆者手帳友の会に所属し、自身の体験を国内外で伝えてきた。昨年12月には米国を訪れ、旧日本軍による真珠湾攻撃の生存者のドリンダ・ニコルソンさん(90)と交流。日本を恨んでいないかと尋ねると、「私たちの国はもっとあなたたちを苦しめた。あなたと私は同志なのよ」と言われたという。本村さんは「人と人が分かり合うためには対話しかないことを改めて実感した」と力を込める。
ウクライナや中東で続く戦火を憂い、「幼い子が泣きながらはだしでさまよう姿が見えないのでしょうか」と非難する本村さん。「平和とは命を守ること、命とは何よりも優先されるべきもの」と強調し、「残された時間を、命の限り平和を叫び続ける。そして戦争が再び起こらないよう祈り続ける」と誓った。
会場では、訪日したニコルソンさんも誓いに耳を傾けた。式典終了後、2人は涙を流して何度も抱擁し、「長崎の鐘」を共に鳴らした。本村さんは「世界中の人が命が大事なんだと認識してくれることを願って読んだ」と語り、ニコルソンさんも「チヨ子さんを誇りに思う。私たちはこれからも平和を共に目指していく」と力を込めた。
【時事通信社】
〔写真説明〕被爆当時に住んでいた自宅があった場所で、原爆が投下された時の状況について語る本村チヨ子さん=6月26日、長崎市
〔写真説明〕真珠湾攻撃の生存者ドリンダ・ニコルソンさん(右)と抱き合う、平和への誓いを読み上げた本村チヨ子さん=9日午後、長崎市の平和公園
〔写真説明〕真珠湾攻撃の生存者ドリンダ・ニコルソンさん(左から2人目)と「長崎の鐘」を鳴らす本村チヨ子さん(同3人目)=9日午後、長崎市の平和公園
2026年08月09日 19時01分