負けず嫌いが原点=少年時代から情熱と統率力―後輩が語る日本代表の森保一監督・W杯サッカー



サッカーのワールドカップ(W杯)で「最高の景色」を目指し、日本代表を率いた森保一監督(57)。小中学校時代のサッカー仲間だった元Jリーガーで、滋賀県の少年サッカーチーム、MIOびわこ滋賀U―12の中尾幸太郎監督(57)は「はじめ君はむちゃくちゃ負けず嫌いだった。一番上手になろうという思いでサッカーをやっていた」と原点を振り返る。

長崎県出身の中尾さんは小学生の時、1学年上で地元が同じ森保監督と出会った。スポーツ少年団や中学校の部活動でも一緒にサッカーをした。「朝から練習し、夜も大人と練習していた。キャプテンで情熱があった」と中尾さん。「いつも先に練習に来ていた。チームを盛り上げるため、『声を出せ』とよく指導された」と振り返る。プレースタイルは攻撃的で「自分が自分がと、チームを引っ張っていこうという感じだった」と話す。

高校卒業後の1987年、マツダ(現J1広島)に入団直後、活躍の機会が少なく、中尾さんにこう漏らしたことがある。「サッカーをやめて長崎に帰ろうと思っている」。しかし、その後、J1広島を率いた故今西和男元総監督とハンス・オフト元日本代表監督の指導を受け、日本代表となるなど成功の階段を駆け上がった。

中尾さんが現役引退後、サッカー指導者のライセンス講習を広島県で受けた時には、当時、J1広島コーチだった森保監督が「久しぶり」と会いに来てくれた。「何で知っているのか」と驚くとともに人のつながりを大切にしていると感じた。

森保監督は以前、SNSなどでの日本代表への批判について「全然気にしない」と話していた。中尾さんは、物事に動じない強さは「もともと持っていた」と語る。

決勝トーナメント1回戦、王国ブラジルとの闘いは、あと一歩及ばなかった。「先制点を決め感動したが、後半は守りに回って厳しかった」と中尾さん。試合後、「素晴らしい試合をありがとうございました。ゆっくり休んでください」とメールを送り、労をねぎらった。

【時事通信社】 〔写真説明〕サッカーのワールドカップ(W杯)の森保一日本代表監督について語る、MIOびわこ滋賀U―12の中尾幸太郎監督=6月22日、滋賀県草津市

2026年07月02日 08時08分


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