
1994年の北朝鮮核危機の際、首相として対応に当たった細川護熙氏(87)は時事通信のインタビューに応じ、米国側から朝鮮半島有事の可能性について「50%以上」との情報を伝えられ、衝撃を受けたと明らかにした。主なやりとりは次の通り。(肩書は当時)
―94年2月の訪米前の状況は。
出発直前の2月10日、内閣情報調査室長らから報告があった。「万一、北朝鮮への制裁となれば、現行法でどこまで対応可能か」という検討の中間報告だ。「かなりの制約があり、国内的にも議論になるだろう。日本は韓国と共に最も脅威を受けることになり、黙って見過ごせない。大変な状況になることを覚悟しなければならない」という内容だった。
―米側とのやりとりは。
クリントン大統領は北朝鮮についてそれほど強く言わず、説明はクリストファー国務長官にさせた。クリストファー氏は「コンティンジェンシー(不測の事態)」という言葉を使い、予測不能な展開になり得ると指摘した。一番厳しかったのは米議会だ。民主党のミッチェル、共和党のドール両上院院内総務から「日本の連立政権には北朝鮮と近い政党の人たちがいる」と情報漏えいなどへの懸念も示された。
―帰国後の対応は。
石原信雄官房副長官に「米国は気にしている」と伝え、朝鮮半島有事の際に法的にどこまでやれるか調べるよう指示した。
―最も危機感を抱いた局面は。
帰国直後の2月14日にもたらされた米中央情報局(CIA)の情報だ。「北朝鮮で戦争準備が進んでおり、今後6カ月から18カ月で(韓国に)武力侵攻する可能性が50%以上ある」という内容だった。時期は95年の6月から7月の間と予測されていた。
―当時の心境は。
日記に「われわれはみな極楽トンボなるか」と書いたほどで、暗闇を模索するような強い危機感を持った。「あらゆることを考えてくれ」と指示し、対応策のメニューはいろいろと上がってきていたと思う。
【時事通信社】
〔写真説明〕インタビューに答える細川護熙元首相=9日、東京都品川区
〔写真説明〕自身のアトリエで撮影に応じる細川護熙元首相=9日、東京都品川区
2025年12月24日 16時40分