94年サミット、ロシア参加で駆け引き=領土問題理由に日本慎重―外交文書公開



ロシアを先進7カ国(G7)の正式なメンバーとして迎えるか否かを巡り、G7各国が1994年7月にイタリア・ナポリで開かれた首脳会議(サミット)で演じた駆け引きのもようが24日公開の外交文書で明らかになった。ロシア参加に比較的前向きな米欧に対し、日本は北方領土問題を理由に慎重な姿勢を示していた。(肩書は当時)

91年のソ連崩壊後、G7は後継国家ロシアと急接近。同年のロンドンサミットから枠外で会合を持つようになり、94年のナポリサミットではロシアのエリツィン大統領の政治討議参加を認めた。同サミットでは冒頭から「95年からG8にしたらどうか」(カナダ)などの声が相次いだ。

日本は慎重な立場を取った。2日目に行われた昼食会では、村山富市首相の代理として出席した河野洋平外相が「わが国との領土問題は未解決」と強調。「(ロシアは)支援を受ける側だ。エリツィン氏はあくまでゲストだ」とロシア参加に難色を示した。「政治的影響力を持つ国を呼ぶなら、中国を呼ぶべきだという話になる」とも語った。

ドイツのコール首相は「2年間は様子を見るべきだ。現実的に考える必要がある」と主張。クリントン米大統領が「領土問題では日本を支持する」としつつ「ドイツの言うように様子を見るのがいい」と語り、結論は翌年以降に持ち越された。

最終日の政治討議にはエリツィン氏が初めて参加し、「ロシアは新たな秩序構築のために役割を果たす用意がある。ロシアの参加は不可欠だ」とG7入りを訴えた。これに対し、村山首相は「両国関係を完全に正常化することは、地域の平和と安定に大いに資する」として北方四島の帰属問題を解決する必要があるとクギを刺した。

ナポリサミットの準備会合の記録も公表された。外務省作成の資料には「わが国のみが他のG7と異なる姿勢を取ることは現実的ではない」との記載があり、当時の苦悩がうかがえる。シェルパ(首脳個人代表)を務めた松浦晃一郎外務審議官は準備会合の報告書で「(政治分野に関しては)日本よりロシアを入れた方が意義があるということにすらなってしまう」と議論の流れに危機感を示した。

ナポリサミット後、ロシアが参加する範囲は徐々に広げられ、98年のバーミンガムサミット以降は「G8サミット」の呼称が使われるようになった。しかし、2014年のロシアのウクライナ・クリミア併合を受け、参加資格は停止されている。

【時事通信社】 〔写真説明〕ナポリサミットへ出発する(左から)武村正義蔵相、村山富市首相、河野洋平外相=1994年7月6日、東京・羽田空港

2025年12月24日 20時29分


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