
野党時代の自民党総裁を務め、外相や衆院議長を歴任した河野洋平(こうの・ようへい)氏が8日、死去した。89歳だった。神奈川県出身。関係者が10日、明らかにした。
党内ハト派の代表格で、中韓両国をはじめとするアジア諸国との関係を重視。宮沢内閣の官房長官だった1993年、旧日本軍の従軍慰安婦の政治問題化を受け、「心からのおわびと反省」を表明した「河野談話」を発表した。
自民党の実力者だった河野一郎元建設相の次男として、37年1月に生まれた。早大卒業後、丸紅飯田(現丸紅)に勤務。急死した一郎氏の後継者として67年、衆院旧神奈川3区で自民党から初当選。連続当選14回。76年、ロッキード事件を受け自民党の金権体質を批判して離党し、新自由クラブを結成したが、86年に復党した。
93年の衆院選で自民党が下野した直後、第16代党総裁に就任。自民党が社会党の村山富市委員長を首相に担いで政権に復帰すると、副総理兼外相として村山氏を支えた。95年の総裁選で再選を目指したが、多数派工作で橋本龍太郎氏(故人)に引き離され、出馬断念に追い込まれた。
小渕、森両内閣で再び外相を務め、2003年11月、第71代衆院議長に就任。09年7月の衆院解散まで議長を務め、在職日数は歴代2位の2029日となった。09年の衆院選に出馬せず、政界を引退。11年に桐花大綬章を受章した。
02年には持病のC型肝炎が悪化し、長男の河野太郎衆院議員(自民)から生体肝移植を受けた。
【時事通信社】
〔写真説明〕河野洋平元衆院議長
2026年06月10日 20時43分