
長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会(被爆連)の川副忠子議長(82)は1歳で被爆したため当時の記憶がないが、母や叔母による詳細な手記や証言を基に、平和を願う思いを伝えてきた。「戦争が起きることを前提に準備をしているように感じるが、まずは起こさないことを前提に政治をしてほしい」。核兵器を巡る国際情勢が厳しさを増す中、「『核抑止』に頼る国が増えてきている」と危惧している。
川副さんは被爆時、爆心地から2.5キロ離れた長崎市西山町(現同市西山)の自宅で、女学生だった当時16歳の叔母に昼食を食べさせてもらっていた。爆風で家の屋根や畳がめくれ上がったものの、けがはなかった。だが、祖母ら親族4人は同市城山町で爆死し、黒焦げの状態で見つかった。
大学を卒業後、小学校の教諭として働き始めた。1970年には同僚の先輩教員に誘われ、「被爆教師の会」に入会。教員仲間と共に平和教育の教材作成などに取り組んだ。川副さんは当時を振り返り、「教材が何もなかったので一から作らなければならなかったが、それが面白かった」と目を細める。
会の活動で被爆連に携わるようになり、昨年11月には議長に就任。「本当は事務局長が向いているんだけど」と遠慮がちに話す川副さん。一方、被爆者の高齢化が進み、年を経るごとに加盟団体に関わる人が減っているといい、「動ける間はちょっと頑張らんば」と自分を奮い立たせている。
国内外で体験を語ってきた川副さんは、今年4月から5月にかけ、核拡散防止条約(NPT)再検討会議の開催に合わせて渡米。現地で核兵器の廃絶を呼び掛けた。同会議では、成果文書の採択が3回連続で決裂したが、「曖昧なもので文書がまとまっても意味がない。やむを得ないと思った」と受け止める。
マクロン仏大統領が核弾頭の保有数増を表明するなど、核軍縮を巡る機運に逆風が吹く中、11月から核兵器禁止条約再検討会議が開催される。「戦争が起きることを前提に準備をしているように感じるが、まずは起こさないことを前提に政治をしてほしい」と憤る川副さん。世界各国の指導者に向け、「やっぱり外交しかない。けんかを売るのではなく、友好な関係を結んでほしい」と訴えた。
【時事通信社】
〔写真説明〕取材に応じる長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川副忠子議長=7月21日、長崎市
〔写真説明〕核廃絶を訴えるデモ行進前の集会でスピーチする長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川副忠子議長(中央)=4月26日、米ニューヨーク
〔写真説明〕核廃絶を訴えるデモ行進前の集会でスピーチする長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川副忠子議長(中央)=4月26日、米ニューヨーク
2026年08月09日 09時34分