一般社団法人 日本電子機器補修協会
投げても、打っても異次元の活躍を見せる。唯一無二の存在となった大谷翔平(エンゼルス)の「二刀流」にはプロ入り直後、成功に懐疑的な声が大半だった。しかし、大谷の日本ハム時代に指揮を執った栗山英樹監督は、前例なき道を進める素材であることを信じて疑わなかった。
2012年秋。岩手・花巻東高の大谷は、日本球界を経ず米大リーグに挑戦すると表明した。ところが日本プロ野球のドラフト会議当日、日本ハムは「その年一番の選手を1位指名する」との方針を貫く。「強行指名」は大きな波紋を呼んだ。
メジャー入りを固く決意していた18歳を振り向かせたのは、球団が用意した資料「大谷翔平君
夢への道しるべ」だった。高卒で渡米した韓国選手が苦しんだことや、他競技選手の海外挑戦例などを紹介し、熟慮するよう提案。スポーツキャスターとして米球界の取材もしてきた栗山監督は「(直接)米国に行かせない。(投打の)二つができなくなるから」と考え、二刀流の後押しを約束した。翻意し入団。師弟の二人三脚が始まった。
球界の至宝を故障で壊してはならない。指導者として歩み始め、手探り段階でもあった監督は細心の注意を払うとともに、厳しさを忘れず育成に当たった。2人の歩みが結実したのが4年目の16年。10勝4敗、打率3割2分2厘の22本塁打でチームを日本一に導き、史上初めて2部門(投手、指名打者)でベストナインに選ばれた。
18年にメジャー移籍。恩師と築き上げたプレースタイルを本場でも貫いた。WBCの準々決勝後、大谷は指揮官について語った。「代表で一緒にやるのは特別なこと。初めて会った頃の、プロ野球監督っぽくない雰囲気は今も変わらない。人間性も含めていろいろと勉強させてもらった。今もそう」。米国でも名をとどろかせるスターとなった今、感謝を胸に晴れ舞台に立った。
栗山監督が言い続けた言葉がある。「二刀流はチームを勝たせるために存在する」。日の丸を背負い、共に戦った師弟。誰も歩いたことのなかった道への挑戦は、最高の形になった。
【時事通信社】
〔写真説明〕優勝を決め、ガッツポーズする大谷=21日、米フロリダ州マイアミ
2023年03月22日 11時48分
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