「苦しみ続く」、癒えぬ思い=「あした会おう」が最後のやりとり―長男亡くした夫妻、風化懸念・福知山線脱線21年



JR福知山線脱線事故の発生から21年が経過し、長男の満さん=当時(37)=を亡くした兵庫県伊丹市の斎藤堅一さん(83)、百合子さん(83)夫妻は「苦しみは続いている」と吐露し、風化を懸念する。25日、追悼慰霊式に参列した百合子さんは「ここに来ると会いたくなる。声が聞きたい」と涙ぐみ、堅一さんは「安全対策を改めて気を引き締めてやってほしい」と力を込めた。

2005年4月25日、満さんは事故現場手前のJR伊丹駅にいた。乗車直前、百合子さんと携帯電話で、翌日2歳になる自身の長男の誕生日のお祝いについて話していた。「あした会おう」。それが最後の会話となった。午前9時18分ごろ、最多の死傷者が出た2両目で犠牲となった。

テレビの速報で事故を知った百合子さんは、満さんが乗った電車と確信。50回ほど電話したが出なかった。職場で事故を知った堅一さんと夕方、現場近くの学校の体育館に向かうと、満さんがひつぎに安置されており、左頬に涙が流れた跡があった。「つらかったんだろうなあ。それだけは忘れられない」

事故の3年後、自宅の倉庫で黒い箱を見つけた。小学生時代から電車に興味があった満さんが収集した、鉄道切符263枚と国鉄時代の福知山線の時刻表が入っていた。「電車好きだった満が電車に命を奪われた」。事故の風化防止を願い、10年にJR西日本に寄贈した。

事故から時間がたち、遺族の集まりなどの参加者減少を感じるという夫妻。福知山線の踏切で2月、警報器が鳴らず遮断機も下りないまま電車6本が通過するトラブルがあったことに触れ、堅一さんは「会社の安全意識の風化を感じる」と危機感を募らせる。

昨年12月、事故車両の保存施設(大阪府吹田市)が完成し、夫妻で見学した。遺族の意見が分かれ一般公開はされていないが、「多くの人に事故を知ってもらう良い機会」と公開に賛成する。「誰でも被害者になり得る。二度と同じようなことが起きないよう、事故やその背景を知ってほしい」と訴えている。

〔写真説明〕亡くなった長男の満さんが収集していた鉄道切符の入った箱の写真を手に、取材に応じる斎藤百合子さん(右)と堅一さん=18日、兵庫県伊丹市 〔写真説明〕JR福知山線脱線事故で亡くなった斎藤満さんが収集していた鉄道切符=18日、兵庫県伊丹市 〔写真説明〕JR福知山線脱線事故で亡くなった斎藤満さんが収集していた1981年の福知山線の時刻表=18日、兵庫県伊丹市

2026年04月25日 14時31分


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