「ミスタープロ野球」「燃える男」と呼ばれた国民的ヒーロー、長嶋茂雄さんが3日、現役時代の背番号と同じ日に旅立った。
昭和の高度成長期、「4番、サード、長嶋、背番号3」の響きが日本に活気をもたらした。平成の時代も「巨人軍」の監督として数々の話題を提供し、明るさと情熱で人々の心を照らし続けた。元号が令和に変わり、89歳で死去。日本列島にとって悲しみの日になった。
巨人のキャンプ地・宮崎市で長嶋さんが選手時代から足しげく通った釜揚げうどん店「重乃井」おかみの伊予展子さん(75)は「訃報を聞き、つらい」と涙を流した。親戚のような付き合いは長年続いたといい、「来店時は気取ることなく私たちを笑わせてくれた。太陽のような人。ありがとうという気持ちしかない。ゆっくり休んで」と話した。
長嶋さんが生まれ、高校時代まで過ごした千葉県佐倉市の「長嶋茂雄記念岩名球場」。スコアボードに「長嶋茂雄さんありがとう」とのメッセージが掲示された。
球場に設けられた記帳台を訪れた同市の嶋フキ子さん(78)は「もうちょっと長生きしてほしかった」と声を詰まらせた。約10年前、野球教室の講師として球場に来た長嶋さんを見たといい、「姿を見るだけで勇気をもらえた。他の選手が後を継ぎ、子どもたちに野球を教えてほしい」と願った。
東京都大田区の長嶋さん宅近くに住む内山信夫さん(64)は「訃報を聞き、居ても立ってもいられずに駆け付けた。小学生の頃から50年以上憧れており、とてもショック」と語った。自宅前で手を合わせた服部剛さん(50)は「一つの時代が終わったと感じた。夢をありがとうございます」と感謝の言葉を口にした。
札幌市に住む50代の男性タクシー運転手は「日本ハムが来る前は北海道でも巨人ファンが多く、長嶋さんはヒーローだった。巨人ファン以外からも愛された」と悼んだ。
大阪・梅田では、阪神ファンも長嶋さんに思いをはせた。大阪府池田市の男性(47)は、長嶋さんがCMに出演した会社に勤めていたことがあり、「面白いエピソードにあふれ、バラエティー番組でも活躍していた。阪神ファンだが、寂しい気持ちだ」としのんだ。
福岡市の繁華街・天神では、主婦の塚原美佐枝さん(71)が「私自身はソフトバンクのファンだがショックだ。10代の頃に長嶋さんの活躍を見ていたので印象に残っている」と振り返った。会社員の谷岸規男さん(59)は「小学3年の時に長嶋さんの引退試合を見たことが今でも自慢だ」と胸を張った。
【時事通信社】
〔写真説明〕長嶋茂雄さんの訃報を伝える号外=3日午前、東京都千代田区
〔写真説明〕長嶋さんの訃報に涙を流す釜揚げうどん店「重乃井」のおかみ、伊予展子さん=3日午前、宮崎市
〔写真説明〕長嶋茂雄さんの訃報を受け、長嶋茂雄記念岩名球場で記帳する市民=3日午後、千葉県佐倉市
2025年06月03日 18時04分