日本、防波堤の80年=米戦略、反ソから対中国―敵国が同盟国に、影差す第一主義



第2次世界大戦敗戦から80年。日本は敵国だった米国と同盟関係を結び、政治・経済両面で大きな影響を受けてきた。米軍の日本駐留を軸とする日米安全保障体制の下、日本はソ連の共産圏拡大や中国の覇権主義的動きに対する「防波堤」を担った。緊密さを増す日米だが、トランプ大統領の自国第一主義が影を落とす。(肩書は当時)

◇望むだけ駐留

真珠湾攻撃、日本全土への空襲、広島・長崎への原爆投下。大きな犠牲を生んだ大戦は1945年8月、日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏で終結した。連合国内では日本の分割統治論も浮上したが、ソ連の台頭を警戒する米国は資本主義国としての早期自立を望んだ。

50年の朝鮮戦争勃発で極東も冷戦の渦に巻き込まれた。米国は日本を共産主義「封じ込め」の基盤とし、51年9月、サンフランシスコ講和条約と旧日米安保条約に署名。米国の「望むだけの軍隊を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利」(ダレス米国務長官)が確立した。

吉田茂首相は米国に軍事を委ね、戦後復興に専念。「吉田ドクトリン」と呼ばれ、長らく国家指針となった。朝鮮戦争やベトナム戦争で特需を経験し、高度経済成長を遂げた。

米国の対日防衛義務を明記した60年の旧安保条約改定を巡っては、軍事同盟強化に反対する安保闘争で揺れた。30万人とも言われるデモ隊が国会議事堂を囲む中、岸信介首相は強行採決した。米兵絡みの事件・事故など、基地問題は今も続いている。

◇ブーツ・オン・ザ・グラウンド

経済大国となった日本に、米国は不満を募らせた。70年代以降、貿易摩擦は繊維や牛肉、日本車、円安など多岐にわたり、米側が日本に圧力をかけ続けた。

冷戦終結後の90年代、米国は日本に国際貢献を求めた。91年の湾岸戦争で、日本は米国主体の多国籍軍参加と引き換えに130億ドルを拠出したが「小切手外交」と非難を浴び、日本外交の転機となった。

2001年9月の米同時テロ後、ブッシュ(子)政権はアフガニスタン、イラク両戦争で「ショー・ザ・フラッグ(立場を明確にしろ)」「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上部隊を派遣)」と要求を強めた。小泉純一郎首相はインド洋での給油活動やイラクの人道復興支援で自衛隊を派遣した。

冷戦後の米国一極体制は持続せず、東アジアでは中国が急伸するなどパワーバランスが変化。民主党政権では米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設を巡る混乱で日米はぎくしゃくした。自民党の政権奪還後、外交・防衛政策をすり合わせる「一体化」路線に向かった。

「ジャパン・イズ・バック(日本は戻ってきた)」。安倍晋三首相は13年の訪米時の講演で、国際秩序への関与強化を表明。安保法制を成立させ、集団的自衛権の行使を可能とした。22年には岸田文雄首相が防衛力の抜本強化を掲げ、反撃能力(敵基地攻撃能力)保有を決定。「盾と矛」の役割分担は変わり始めている。

◇狭まる同盟の幅

今年1月に誕生した第2次トランプ政権は高関税政策で自国利益を優先する。安保面でも防衛費の増額要求が焦点となる。時事通信の世論調査では、1月に「好きな国」39.9%、「嫌いな国」5.3%だった米国は7月調査でそれぞれ31.2%、11.9%に悪化した。

「米国が変質しても、核抑止力は他に頼れない」。防衛省幹部は日米同盟の必要性をこう強調したが、内向き志向が深まる米国との関係は不透明さを増す。

慶応大の宮岡勲教授(国際政治論)は「トランプ政権は自由貿易や法の支配などリベラルな国際秩序の観点が抜け落ち、リアリズムに特化している。だが、日本はリベラルな秩序も捨てられない」と指摘。「防衛に限らず経済協力や価値観もうたってきたのが日米同盟だが、今後は当面、軍事を中心とした幅の狭いものになる。その分、同志国との連携の重要性が全般的に高まっていく。日本の独自性を発揮しやすくなるとも言える」と語った。

【時事通信社】

2025年08月15日 07時10分

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