靖国神社、鎮魂と政争の80年=首相参拝、内外に波紋―分祀・国立施設は暗礁



終戦80年を迎える靖国神社(東京・九段北)は太平洋戦争の戦没者ら約246万人が「英霊」として祭られている。鎮魂と顕彰の場は、終戦記念日になると首相や閣僚の参拝問題に注目が集まり、政治・外交問題化してきた。戦前の国家神道の象徴的存在から、戦後は一宗教法人へと「変革」。その後も宗教性と公共性のはざまで揺れ続けている。

戦前の靖国神社は陸軍省と海軍省が共同で管理。軍国主義の精神的支柱として、国民の戦意高揚に寄与した。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が軍国主義再発を防ぐ目的で国家神道を廃止する「神道指令」を出し、1946年に宗教法人化。だが、戦没者遺族や国民の間には靖国を特別視する空気が根強く残り、国家管理や国費支出を求める「国家護持運動」につながった。

自民党は69年以降、靖国神社を特殊法人化し国家管理する「靖国神社法案」を5度にわたり国会に提出。「戦前復古」といった野党の反対に加え、宗教性を薄める法案内容に同神社自身が抵抗し、74年までに全て廃案となった。

◇首相参拝、ぶれる政府

国家護持運動が下火になると、首相の靖国参拝に焦点が移った。参拝は宗教的行為か、社会的儀礼の範囲か。憲法が定める政教分離との関係を巡り、政府見解は変遷した。

宗教法人化後も吉田茂氏ら歴代首相が参拝していたが、政治問題化したのは75年。現職首相として初めて終戦記念日に参拝した三木武夫氏が、あえて「私的参拝」と強調したのがきっかけだった。

鈴木善幸内閣は80年、首相公式参拝について「違憲との疑いを否定できない」とする政府見解を発表。しかし中曽根康弘内閣が85年、「宗教色を薄めた参拝方式なら合憲」とした政府見解を示し、中曽根首相は終戦記念日の「公式参拝」を断行した。

78年に東条英機元首相らA級戦犯が合祀(ごうし)されたこともあり、中国などが公式参拝に強く反発した。靖国参拝は外交問題化し、中曽根氏は翌86年以降の参拝を断念。その後も時の首相の参拝は中韓との関係悪化を招いた。2013年の安倍晋三首相(当時)の参拝時には、オバマ米政権が「失望」を表明。この後、首相参拝は行われていない。

◇天皇参拝も途絶える

天皇の靖国参拝は1975年秋の昭和天皇参拝が最後だ。A級戦犯合祀が原因とされており、日本遺族会会長を務めた古賀誠・自民党元幹事長は「天皇にご親拝いただくためにもA級戦犯の分祀が必要だ。(近隣諸国が)参拝を非難する理由もなくなる」と訴える。

一方、靖国神社の歴史に詳しい三土明笑・元東京理科大教授は「分祀は一宗教法人の『祭る自由』を奪う行為だ」と話し、信教の自由などに反すると指摘。靖国神社自身も分祀を否定している。

先の大戦の「無名戦没者の墓」として59年に国が建設した千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)の拡充案や、無宗教の国立追悼施設新設案など、戦没者慰霊施設を巡る議論は百出したが、いずれも具体化せず、暗礁に乗り上げたままだ。

【時事通信社】 〔写真説明〕靖国神社=4月21日、東京都千代田区

2025年08月15日 12時39分


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