
モンゴル出身の玉鷲関(本名玉鷲一朗)にとって、福岡県朝倉市は「第二の故郷」だ。所属する片男波部屋が2010年から同市に宿舎を構えたことで始まった交流。玉鷲関は地元の人々について、「自分の息子みたいに言葉を掛けてくれる」としみじみ話す。
宿舎は廃校となった朝倉農業高校を使用。その校舎は、自治会組織の「三奈木地区コミュニティ協議会」が市から無償で借り受けた。そんな縁もあって玉鷲関は朝倉市の親善大使も務める。協議会の別府常幸会長(65)は、その活躍が「(地域の)活力になっている。われわれも楽しみにしている」と述べ、声援を送る。
朝倉市は17年の九州北部豪雨で大きな被害を受けた。玉鷲関は同年の九州場所前に小学校や避難施設などを慰問。復興に取り組む姿に心を打たれ、行く先々で勝ち越しを誓った。同場所は11勝と大勝ちし、「約束を守れてよかった」。目を赤くして言った。
毎年、九州場所中に誕生日を迎える。41歳となった今年も、協議会はいつものようにケーキを準備して祝福。「もっと朝倉市(の話題)を出したいから、星を重ねないと。皆さんに良い報告がしたい」。固い絆を力に、まだまだ元気な姿を見せるつもりだ。
【時事通信社】
〔写真説明〕九州北部豪雨で被災した福岡県朝倉市を慰問に訪れ、白鵬関の横綱土俵入りで太刀持ちを務める玉鷲関(左端)=2017年12月
2025年11月16日 19時07分