誠実な姿、日本への高評価に=アジア大会で故織田幹雄さん―国際舞台復帰に尽力



1928年アムステルダム五輪の陸上男子三段跳びを制した故織田幹雄さん。日本人初の五輪金メダリストは戦後のアジア大会で、日本スポーツ界の国際舞台復帰に尽力した。熱戦が続く愛知・名古屋アジア大会のさなか、広島県海田町の「織田幹雄スクエア」で企画展「アジア大会の曙~織田幹雄と戦後スポーツの出発」が開かれている。

太平洋戦争直後の51年、ニューデリーで開催された第1回アジア大会では、戦禍を被ったフィリピンが日本の出場に強く反対。開催国インドの意向が働いて参加に至った日本には、各国からの信頼や友情の回復につながる行動が求められていた。

陸上競技監督として日本選手団に加わった織田さんは、戦前からの人脈を生かして多くの関係者と交流。大会終盤にはフィリピン選手とも打ち解け、マニラでの次回大会での再会を約束した。各国の関係者と一緒に納まった写真からは、当時の和やかな雰囲気が感じ取れる。日記には「相競う

若き人々

集い来て

アジヤ一つに

結ばれにけり」と書き込んだ。

54年の第2回大会には陸上総監督で参加。役員をまとめ、各国代表団との外交も担った。開幕前の日記には、暑いマニラで体力消耗を避けるために昼寝しようとしたが、指導を求める他国コーチへの対応に追われる様子がつづられている。誠実な姿勢が日本の評価を高める一助となり、58年の第3回東京大会や64年東京五輪の開催の礎になった。

故郷での開催となった94年広島大会では、聖火リレーに関わった織田さん。98年に93歳で生涯を終えるまで、スポーツ界の戦後の歩みを見詰め続けた。(企画展は12月1日まで)。

【時事通信社】 〔写真説明〕生前の織田幹雄さん=1996年3月 〔写真説明〕アジア大会に関する企画展示が行われている織田幹雄スクエア=16日、広島県海田町 〔写真説明〕織田幹雄スクエアで開催されているアジア大会に関する企画展示=16日、広島県海田町

2026年09月26日 07時11分


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