能登半島地震で家族・親族計10人を亡くした介護施設職員、寺本直之さん(54)=金沢市=は、被害について「忘れてほしくない」と訴える。発生から1年間は家族について話すことを避けていたが、今は語り部や被災地ボランティアとして活動。語ることで悲しみと向き合っている。
地震が起きた昨年元日、寺本さんを除く家族5人と義理の両親、義弟の家族3人は、石川県穴水町の妻弘美さん=当時(53)=の実家に集まっていた。金沢市内の勤務先にいた寺本さんも、後から合流する予定だった。
勤務時間も終わりに近づいた午後4時10分に地震が発生。家族の誰とも連絡は取れず、道路の寸断で現地にも向かえない。「みんなどこかに避難している」と信じていたが、1月4日に義母の発見を聞かされた。
翌5日朝、やっとの思いで穴水町に到着すると、実家は土砂崩れの下敷きに。その日のうちに義父と次男駿希さん=同(21)=が、7日には長男琉聖さん=同(23)=ら全員が遺体で見つかった。
三男京弥さん=同(19)=は間もなく成人式を、長女美緒寧さん=同(15)=は3月に中学校の卒業式を控えていた。予定していた家族旅行はかなわず、2023年夏に行った東京ディズニーランドが家族そろっての最後の旅行となった。「あんまりだ」と声を詰まらせた。
最初の1年間は、家の片付けなどに忙殺され、「悲しむ余裕もなかった」。だが、今年元日の追悼式以降は「気持ちの整理もついたし、教訓になれば」と、当時のことを口にするように。今では語り部などとして活動している。
県外で被災体験を話し、深刻な状況が十分伝わっていないと感じたこともあった。発生から1年半となり「(地震の話が)だんだん少なくなっている気がする」と風化を懸念する。「伝えていかないと、亡くなったあいつらに申し訳ない。生きている限りは伝えていかなきゃいけない」。
【時事通信社】
〔写真説明〕東京ディズニーランドで撮影した寺本直之さん一家の記念写真。家族そろっての旅行はこれが最後となった=2023年8月、千葉県浦安市(本人提供)
〔写真説明〕寝室に置いた家族の遺影を前に取材に応じる寺本直之さん=6月13日、金沢市
2025年07月01日 14時31分