
中心部に全国でも珍しい「映画館通り」があり、その周辺にはかつて15の映画館が軒を連ねた盛岡市。しかし、人口減少などのあおりを受け、現在では4館にとどまる。「映画の街」としての再生を目指そうと、民間有志が集まってプロジェクトを始め、10月には市で5年ぶりとなる映画祭開催にこぎ着けた。代表の工藤昌代さん(58)は「映画を通じた貢献が地域活性化につながる。これからもイベントを開き、街を盛り上げていく」と意気込む。
きっかけとなったのは、2011年3月の東日本大震災だった。盛岡市は津波による直接の被害はなかったものの、人々が疲れ切っていると感じた工藤さんは翌月、何かできないかと小中で同級生だった映画監督の大友啓史さん(59)に相談した。
当時、市が中心となって毎年開催していた映画祭に携わっていた大友さんは「映画で活力を与えられるかもしれない。地元の人を集めて」と伝えた。工藤さんは同年5月、同級生や震災を機につながりを持った人たちと任意団体「〈映画の力〉プロジェクト」を立ち上げた。
プロジェクトでは、映画祭に合わせたイベントの開催や自主上映会、岩手にゆかりある作品のサポートなどを行ってきた。ただ、新型コロナ禍の影響もあり、要となった映画祭は21年以降途絶えてしまった。工藤さんらは自分たちが主体となって復活させようと、昨年9月にプレイベントとして屋外上映会を開催。高校生や大学生ら若者も多く参加し、手応えを感じた。
街全体が映画館との思いから「もりおか座」と名付けた映画祭は10月25、26両日、市内4会場で開催された。「セーラー服と機関銃」などを手掛け、53歳で亡くなった同市出身の相米慎二監督の作品やアジア映画などが上映され、岩手県出身の脚本家奥寺佐渡子さん(59)らによるトークイベントも行われた。
参加した人の評価も上々だ。60代男性は「昔のにぎわいを見ているようだった。本当に良かった」と笑顔。40代女性は「映画館に行く機会がすっかり減っていた。スクリーンだと迫力がある」と満足げに語った。
プロジェクトでは今回の映画祭を「第ゼロ回」と位置付け、来年はさらに規模を拡大する計画だ。映画祭の実行委員長を務めた高橋大さん(58)は「反響はあったが、しっかり検証をして来年以降さらに良い映画祭にする必要がある」と話した。
【時事通信社】
〔写真説明〕全国でも珍しい「映画館通り」=10月25日、盛岡市
〔写真説明〕「もりおか座映画祭」で行われたトークイベント。中央は脚本家の奥寺佐渡子さん=10月25日、盛岡市
〔写真説明〕上映会場の壁に貼られた「もりおか座映画祭」のポスター=10月25日、盛岡市
2025年11月15日 07時03分